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言志四録 / 南洲手抄

生物皆畏死。人其靈也、當從畏死之中、揀出不畏死之理。吾思、我身天物也。死生之權在天、當順受之。我之生也、自然而生、生時未嘗知喜矣。則我之死也、應亦自然而死、死時未嘗知悲也。天生之而天死之、一聽于天而已、吾何畏焉。吾性即天也。躯殼則藏天之室也。精氣之爲物也、天寓於此室。遊魂之爲變也、天離於此室。死之後即生之前、生之前即死之後。而吾性之所以爲性者、恒在於死生之外、吾何畏焉。夫晝夜一理、幽明一理。原始反終、知死生之理、何其易簡而明白也。吾人當以此理自省焉。

新字:生物皆畏死。人其靈也、当従畏死之中、揀出不畏死之理。吾思、我身天物也。死生之権在天、当順受之。我之生也、自然而生、生時未嘗知喜矣。則我之死也、応亦自然而死、死時未嘗知悲也。天生之而天死之、一聴于天而已、吾何畏焉。吾性即天也。躯殼則蔵天之室也。精気之為物也、天寓於此室。遊魂之為変也、天離於此室。死之後即生之前、生之前即死之後。而吾性之所以為性者、恒在於死生之外、吾何畏焉。夫昼夜一理、幽明一理。原始反終、知死生之理、何其易簡而明白也。吾人当以此理自省焉。

書き下し

生物は皆死を畏る。人は其れ霊なり、当に死を畏るるの中より死を畏れざるの理を揀び出すべし。吾れ思ふ、我が身は天物なり。死生の権は天に在り、当に之を順受すべし。我れの生るるや自然にして生る、生るる時未だ嘗て喜ぶことを知らず。則ち我の死するや応に亦自然にして死し、死する時未だ嘗て悲むことを知らざるべし。天之を生みて、天之を死す、一に天に聴さんのみ、吾れ何ぞ畏れん。吾が性は即ち天なり、躯殻は則ち天を蔵むるの室なり。精気の物と為るや、天此の室に寓す。遊魂の変を為すや、天此の室を離る。死の後は即ち生の前なり、生の前は即ち死の後なり。而して吾が性の性たる所以は、恒に死生の外に在り、吾れ何ぞ畏れん。夫れ昼夜は一理なり、幽明は一理なり。始めを原ねて終りに反らば、死生の理を知る、何ぞ其の易簡にして明白なるや。吾人は当に此の理を以て自省すべし。

現代語訳

生き物はみな死を恐れる。しかし人は霊妙な存在なのだから、死を恐れるその中から、死を恐れなくてよい道理を選び取るべきだ。私は思う——我が身は天から与えられたもので、生死の権限は天にある。ならばそれを素直に受け入れよう。私が生まれたのは自然にそうなったのであり、生まれた時に喜びを感じたわけではない。ならば死ぬのもまた自然にそうなるのであり、死ぬ時に悲しみを感じることもないはずだ。天が生み、天が死なせる。ただ天に任せるだけだ、私が何を恐れよう。私の本性はすなわち天であり、肉体は天を宿す部屋にすぎない。生とはこの部屋に天が宿ること、死とはこの部屋から天が離れることだ。死の後はすなわち生の前、生の前はすなわち死の後。そして私の本性が本性たるゆえんは、常に生死の外にある。私が何を恐れよう。昼と夜は同じ一つの理、この世とあの世も同じ一つの理。始めをたずね終わりに立ち返れば、生死の道理はわかる。なんとそれは簡明で明白なことか。私たちはこの理によって、自らを省みるべきである。

解説

一斎の生死観を最も体系的に語った、抄録中の白眉です。肉体を「天を宿す部屋」、本性を「天そのもの」と見立て、生とは天がこの部屋に宿ること、死とは天が離れることだと説きます。生も死も自然の出来事にすぎず、生まれた時に喜ばなかったのだから死ぬ時に悲しむ理由もない、と。恐れの中にこそ、恐れなくてよい道理を選び取れという冒頭が印象的です。昼夜や幽明を貫く一つの理に立てば、死は特別な恐怖ではなくなる。西郷隆盛が死をも恐れぬ胆力の源とした思想が、ここにあります。死生観に揺れる私たちに、静かで大きな視座を与えてくれます。

この章句が説くこと

生死観本性自省

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