大和俗訓 / 巻之四・心術下
一不知の人は、義理をわきまへざるのみにあらず、又利害損得をも知らずして、わが身の禍となる事をかへりみず、ひが事をなして身を立てんと思ひ、かへりて身をほろぼし、家をやぶるにいたる。かなしむべし。これわが身の惡をやめずして、天の責をまつものなり。わが身を利せんとて惡しきことを行ひ、人をくるしめて身をたのしむ。是みなわが身の害となる事を知らず。道を主とせざれば、わが心の、怒り、喜び、好み、惡むにまかせ、わが私欲にしたがひ、利欲損得にかゝはり、或は人のひが事いふにまよひて、惡を善とし、善を惡とす。親類朋友に私し、或は人の請託をうけて私する故に、道にかなひ、公にしたがふことなし。是無學にして道を知らざる故、何をより所として、理非をわきまふべきやうなし。たゞわが身の私意を主として、わがまゝに行ふ。或は書を讀めども、私多き人は、道を主とせずして欲にしたがふ故、まなべども益なし。
新字:一不知の人は、義理をわきまへざるのみにあらず、又利害損得をも知らずして、わが身の禍となる事をかへりみず、ひが事をなして身を立てんと思ひ、かへりて身をほろぼし、家をやぶるにいたる。かなしむべし。これわが身の悪をやめずして、天の責をまつものなり。わが身を利せんとて悪しきことを行ひ、人をくるしめて身をたのしむ。是みなわが身の害となる事を知らず。道を主とせざれば、わが心の、怒り、喜び、好み、悪むにまかせ、わが私欲にしたがひ、利欲損得にかゝはり、或は人のひが事いふにまよひて、悪を善とし、善を悪とす。親類朋友に私し、或は人の請託をうけて私する故に、道にかなひ、公にしたがふことなし。是無学にして道を知らざる故、何をより所として、理非をわきまふべきやうなし。たゞわが身の私意を主として、わがまゝに行ふ。或は書を読めども、私多き人は、道を主とせずして欲にしたがふ故、まなべども益なし。
書き下し
一不知の人は、義理をわきまへざるのみにあらず、又利害損得をも知らずして、わが身の禍となる事をかへりみず、ひが事をなして身を立てんと思ひ、かへりて身をほろぼし、家をやぶるにいたる。かなしむべし。これわが身の悪をやめずして、天の責をまつものなり。わが身を利せんとて悪しきことを行ひ、人をくるしめて身をたのしむ。是みなわが身の害となる事を知らず。道を主とせざれば、わが心の、怒り、喜び、好み、悪むにまかせ、わが私欲にしたがひ、利欲損得にかかはり、或は人のひが事いふにまよひて、悪を善とし、善を悪とす。親類朋友に私し、或は人の請託をうけて私する故に、道にかなひ、公にしたがふことなし。是無学にして道を知らざる故、何をより所として、理非をわきまふべきやうなし。ただわが身の私意を主として、わがままに行ふ。或は書を読めども、私多き人は、道を主とせずして欲にしたがふ故、まなべども益なし。
現代語訳
知恵のない人は、道理をわきまえないばかりか、利害損得も知らずに、自分の身の禍となることをかえりみず、間違ったことをして出世しようと思い、かえって身をほろぼし家をつぶすに至ります。悲しいことです。これは自分の悪をやめずに、天のとがめを待つようなものです。自分の利益を図ろうとして悪いことを行い、人を苦しめて自分が楽しむ。これはみな自分の身の害になることを知らないのです。道を主としなければ、自分の心の怒り・喜び・好み・憎しみにまかせ、自分の私欲に従い、利欲や損得にとらわれ、あるいは人の間違った話に迷って、悪を善とし、善を悪とします。親類や友人をえこひいきし、あるいは人の頼みごとを受けて私的に便宜を図るので、道にかない公に従うことがありません。これは学問がなく道を知らないために、何をよりどころにして理非をわきまえればよいのかわからないのです。ただ自分の私意を主として、わがままに行うのです。あるいは書物を読んでも、私心の多い人は、道を主とせずに欲に従うので、学んでも益がありません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之二大凡そ道を聞くこと、亦た各々禀性の高下に随ひて浅深有るのみ。然れども其の生質通明淳正の士に非ざれば、則ち殆ど此に到ること易からず。偏僻蔽昧の徒は、聞くこと能はざる所なり。故に力を経術に用ゐること数十年と雖も、亦た未だ其の藩籬を窺ふこと能はざる者有り。是れ章句の習、訓詁の学と謂ふべきなり。
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『慎思録』巻之五凡そ事は必ず咨訪して後に明らかなり。故に曰く、問ふことを好めば則ち裕かなり、と。必ず経歴して後に熟す。故に曰く、一事に躓く者は一智を長ず、と。苟も咨訪せずして自ら用ひ、経歴せずして妄りに行へば、亦殆ふいかなと曰ふ。朱子曰く、学は道を知るを以て本と為す。道を知れば則ち学純にして心正し、と。愚謂ふ、是れ学を為すの本旨なり。学者の志を立つる、宜しく此くの如くなるべし。蓋し学は将に以て道を知らんとす。苟も学を為して、道を知るを以て本と為さずんば、博学広聞すと雖も益無く、徒に心思を労するのみ。所謂多しと雖も亦奚を以て為さんといふものなり。夫れ道を知るは固より極めて難し。然れども道を知るを以て志と為さざれば、則ち学を為すこと駁雑にして純一ならず、心を立つること邪僻にして平正ならず。其の本を失ふに因るなり。然らば則ち宏才博聞の人に逾ゆる有りと雖も、儒者の学と為すべからず。百家衆技の流と相同じきを免れず。此れ即ち俗学の習ひにして、亦貴しと為すに足らず。若し乃ち朱子の言を以て之を反覆して言はば、道を知らんと欲すれば、則ち先づ須らく学純にして心正しきを要すべし。苟も学雑にして純一ならず、心正しからずして邪僻なれば、則ち道と相乖戻す。何を以てか道を知るを得んや。
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『慎思録』巻之四食は以て生を養ふ。饕餮なる者は此を以て生を傷る。薬は以て人を救ふ。庸医は此を以て人を殺す。学は以て性を治む。小人は此を以て性を傷る。此の三者は、本是れ人を益するの物事なり。然り而して人を害すること此の如きは、之を用ふるの其の道を失ふに由るなり。
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『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段曰く、其所は、師たる人も、さつぱりとは済ねども、此は聖人のことにて、今の学者の知るべき所に非ず、忠恕のことなりと云て、此うへのことは、決して沙汰なきことなり。答、汝は今の学者の知るべき所に非ずと云。聖人の教は、古今に通じて変ことなし。今と古とを分るは、仏氏の末世と云教なり。混雑すべからず。扨孔子、適も無く莫も無しとの玉ひ、又顔淵の、前に在りと思へば忽焉として後に在りとの玉ひ、孟子、道は一のみとの玉ふ。加様の類多し。汝はいかゞ心得居られ候や。
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『慎思録』巻之一人生まれて学ばざれば、生まれざると同じ。学びて道を知らざれば、学ばざると同じ。知りて行ふこと能はざれば、知らざると同じ。故に人為る者は、必ず学ばざるべからず。学を為す者は、必ず道を知らざるべからず。道を知る者は、必ず行はざるべからず。道を知ること至つて難し。古より英才敦行の士、多からずと為さず。然れども道を知る者は鮮し。学問思弁の功、闕くべからざる所以なり。
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『文武訓』文訓上之末一世に、文学なくしてみだりに道を説く人あり。孝弟忠信などの道を行ふことは、一文不通の愚夫愚婦も、其はしをば知りやすく行ひやすし。是を以て、学なき人に説ききかするはよし。かなの書をよみ、人の物語をきき覚えても、浅近なることは知りやすし。草医の、近世の名医の作れる国字書の方書を読みても、軽き病をばいやすが如し。しかるに、義理の学は、天地人の大道を知る事なれば、まづ文字をしり、四書五経以下、歴代の聖賢の書に通じ、三史、通鑑など、古今の事にもひろく通じてやうやく知るべし。かくの如く、博く書を見ても道をしらざる人は多し。聖賢の書に通ぜず、文学つたなくしては大道に通じがたし。文学なくして道を知りがたき事、たとへば通事なくして異国の人の言語に通じがたきが如く、又、小刀にて大厦を作らんとするがごとし。文学つたなく経伝にくらくしては、大道は知りがたかるべし。
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