肝要工夫録 / 堪忍とは
堪忍とは、たへしのぶと訓みて、私欲の機發を抑へしのぶ事なり。孔夫子も一言にして身をおさむるは、それ忍かとのたまひ、又佛も忍の德たること大なるかなと示したまひて、凡そ人は暫時の間も、堪忍の二字を忘れては危きことなり。道歌に、堪忍の、なる堪忍が、かんにんか、ならぬ堪忍、するがかんにん。この歌の如く、唯だ我意の起る所を、ひたすらに押へしのぶ事なり。取分怒るときは、此二字をおもひ出すべし。古人の言葉にも、短慮功を成さずといひ、諺にも、短氣は損氣といふなり。日本にて良將と仰ぐ所の楠正成、千劍城籠城のとき、堪忍を城とし、油斷を敵とすと書して、士卒の誠とせり。古しへより、和漢ともに、この二字を守りて、天下を治め、子孫を安んずる者少からず。唐土にて九代みな同居して睦じきも、この二字の德なり。しかれども、論語八佾に是可忍也との玉ひし忍の字は、あしきことにて、本心に忍び難きをおしこらへて非禮をする事なり。
新字:堪忍とは、たへしのぶと訓みて、私欲の機発を抑へしのぶ事なり。孔夫子も一言にして身をおさむるは、それ忍かとのたまひ、又仏も忍の徳たること大なるかなと示したまひて、凡そ人は暫時の間も、堪忍の二字を忘れては危きことなり。道歌に、堪忍の、なる堪忍が、かんにんか、ならぬ堪忍、するがかんにん。この歌の如く、唯だ我意の起る所を、ひたすらに押へしのぶ事なり。取分怒るときは、此二字をおもひ出すべし。古人の言葉にも、短慮功を成さずといひ、諺にも、短気は損気といふなり。日本にて良将と仰ぐ所の楠正成、千剣城籠城のとき、堪忍を城とし、油断を敵とすと書して、士卒の誠とせり。古しへより、和漢ともに、この二字を守りて、天下を治め、子孫を安んずる者少からず。唐土にて九代みな同居して睦じきも、この二字の徳なり。しかれども、論語八佾に是可忍也との玉ひし忍の字は、あしきことにて、本心に忍び難きをおしこらへて非礼をする事なり。
書き下し
堪忍とは、たへしのぶと訓みて、私欲の機發を抑へしのぶ事なり。孔夫子も一言にして身をおさむるは、それ忍かとのたまひ、又佛も忍の德たること大なるかなと示したまひて、凡そ人は暫時の間も、堪忍の二字を忘れては危きことなり。道歌に、堪忍の、なる堪忍が、かんにんか、ならぬ堪忍、するがかんにん。この歌の如く、唯だ我意の起る所を、ひたすらに押へしのぶ事なり。取分怒るときは、此二字をおもひ出すべし。古人の言葉にも、短慮功を成さずといひ、諺にも、短氣は損氣といふなり。日本にて良將と仰ぐ所の楠正成、千劍城籠城のとき、堪忍を城とし、油斷を敵とすと書して、士卒の誠とせり。古しへより、和漢ともに、この二字を守りて、天下を治め、子孫を安んずる者少からず。唐土にて九代みな同居して睦じきも、この二字の德なり。しかれども、論語八佾に是可忍也との玉ひし忍の字は、あしきことにて、本心に忍び難きをおしこらへて非禮をする事なり。
現代語訳
堪忍とは、たえ忍ぶと訓み、私欲の起こりを抑えしのぐことです。孔子も、一言で身を治めるのは「それ忍か」とおっしゃり、仏も「忍の徳たることは大きい」と示され、およそ人は少しの間でも堪忍の二字を忘れては危ういことです。道歌に、「堪忍の、なる堪忍が、かんにんか、ならぬ堪忍、するがかんにん」。この歌のとおり、ただ我意の起こるところをひたすら抑え忍ぶことです。とりわけ怒るときは、この二字を思い出すべきです。古人の言葉にも「短慮は功を成さず」といい、ことわざにも「短気は損気」といいます。日本で良将と仰ぐ楠正成は、千剣城に籠城したとき、「堪忍を城とし、油断を敵とする」と書いて、士卒の戒めとしました。昔から、和漢ともにこの二字を守って天下を治め、子孫を安んじた者は少なくありません。中国で九代みな同居して睦まじかったのも、この二字の徳です。しかし、『論語』八佾で「是れ忍ぶべくんば」とおっしゃった忍の字は悪いことで、本心に忍び難いことを押しこらえて非礼をすることです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『肝要工夫録』・克己の堪忍道理より此二字をいはば、孔夫子、顏子への敎に克己復禮とのたまひて、その己に克つの工夫が堪忍の二字なり。されば己の私欲きざすときは、いさゝかの事なりとも、いたく堪忍して、道理に立ちもどることにて、腹の立つのも堪忍し、欲の貪りたきもかんにんし、色欲の起るもかんにんし、酒食の好みもかんにんし、悋氣嫉妬もかんにんし、朝寢したきもかんにんし、惰慢逸遊したきもかんにんし、貧窶苦勞も堪忍し、何事も私欲より發る望み好みは、一々堪忍することにて、凡そ人たる者、肝要の工夫、これほど日用に貴きものなければ、片時も忘れず、よく私欲を取りひしぎて、道理にたち歸るべし。(堪忍のことは、義堂の敎諭錄などに、深切にしめしあることなれば、熟覽すべきことなり。)道歌に、
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『肝要工夫録』・義理のための堪忍たへ忍ぶ、心しなくば、皆人の、など身を立つる、ことのあるべき。又武士の堪忍には、義理のためなれば、刑罰も行ひ、止む事を得ざれば、慮外者など討捨にすることあれども、その心に於ては、甚だ忍びがたけれども、義理のため故、おしこらへて人物をも殺すなり。此所をよく辨へざれば、臆病の名をとり、忠孝の道も闕く事あり。唯だ道理をおこなふ爲の堪忍なることをよく合點すれば、後の個條にいふ仁を行ふの工夫も、この二字に若くことあるべからず。
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『大和俗訓』巻之三・心術上一尚書に曰く、必ず忍ぶこと有りて、其れ乃ち済すこと有り、容るること有りて徳乃ち大なり。忍ぶとは堪忍するなり。堪忍すれば怒をおさへ、事をやぶらずして禍なし。人我の間和平にして、万事ととのふ。故に有済と云ふ。古語に、忍過ぎて事喜ぶに堪ふといへり。堪忍しすませば、必よろこびありとなり。人の悪しきを堪忍せざれば、怒起り、人にあらそひて、人我の間和順ならず、世に立ちがたし。堪忍すればあらそひ出来ず、口論にも及ばずして恥辱なし。心中平かにして楽多し。有容とは、心広くして、人の善をば取りて用ひ、人の過あるをばゆるすを云ふ。容るる事あれば、其徳の器大なり。たとへば大なる器の、其量ひろければ、物を入るる事多きが如し。古人の詩に、海濶くして魚の躍るに従せ、天空しくして鳥の飛ぶに任すといへるがごとし。忍は力を用ひて堪ふるなり。容は其徳ひろくして大なれば、忍ぶはいふに及ばず。まづ務めて忍びて、其工夫熟して後、有容にいたるべし。忍は生しきなり。有容は熟するなり。されど初より、容の工夫もあるべし。人の善を取り、人の過をゆるす事、はじめより無くんばあるべからず。
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『家道訓』巻之一・総論上一家ををさむるにも、忍の字を用ふべし。忍とはこらふるなり、堪忍するをいふ。おごりをおさへて、慾をほしいままにせざるもこらふるなり。又、わが家の貧なるをこらへて、人をむさぼらざるべし。凡の人君子にあらざれば、わが心にかなはざる事多し。堪忍せざれば人の交は和がず。然るに父兄は、子弟のおのれにつかへやう足らずして、心にかなはざれば子弟を責む。子弟は、父兄のめぐみうすくして、あきたらざれば父兄をうらむ。其の余、夫婦親戚も亦しかり。たがひに堪忍せざれば、いかりうらみ出来て、父子兄弟夫婦親戚の間むつまじからず。此ゆゑに、人の行のわが心にかなはざることを、たがひに堪忍してうらみいからざれば、一家の内やはらぎしたしむ。是家をととのふる道なり。又人のあしきをばゆるして堪忍し、わが身には道をつくして、人に堪忍せらるる行をなすべからず。
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『大和俗訓』巻之六・躬行上一怒はつよく、欲はふかき故、是にかちがたし。力をつくして堪忍すべし。力よわければ、怒と欲にかちがたし。忍の字は、心の上に刄を書く。怒と欲の心起るを断去ること刄を以て切りたつが如くなるべし。是呉臨川が、忍の封をつくりし説なり。又敵にむかひて戦ふが如く、十分の力を用ふべし。如此せざれば、怒と欲とにまけやすし。堪忍の工夫なく、怒と慾とにかたざれば、平生の学問も用にたたず、いたづら事なり。
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『楽訓』巻之上・総論一忍は、しのぶとも、こらふるともよめり。俗にいはゆる堪忍する事なり。忍ぶべき事多し、大やう忿と欲との二に出でず。我が身の好める酒食声色財利などの私慾をこらへて、恣にせざると、身のやつやつしく、豊ならざるをこらへて、貧をあまんじ苦まざるは、慾を忍ぶなり。人の我に情なく無礼なるをば、凡人はかくこそ有らめと思ひこらへて、いかり恨みざるは、忿を忍ぶなり。凡忿と慾とを忍べば、心平かに気和ぎ、身やすく、人にさはりなくして、恥なく、苦なく、後のうれひなく、わざはひなし。忍の一字より、万の善き事出づ。忍ばざれば、万のあしき事、是より出づ。故に古語に、忍は是衆妙の門と云へり。忍のことわり、楽を得るにおいて、其益大なるかな。

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