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大和俗訓 / 巻之三・心術上

一人の我に不義無禮なるをば、いかり恨むべからず。それは人のあやまりなれば、我が心にあづからず。是小人の常情なれば、責むるにたらず。なんぞ怒りうらみて、彼と其是非をあらそふべけんや。唯我が身をかへりみて、我が不義不禮なるを自ら責むべし。人をとがむ可らず。我が身をかへりみ修むれば、人の上をとがむるにいとまなし。

新字:一人の我に不義無礼なるをば、いかり恨むべからず。それは人のあやまりなれば、我が心にあづからず。是小人の常情なれば、責むるにたらず。なんぞ怒りうらみて、彼と其是非をあらそふべけんや。唯我が身をかへりみて、我が不義不礼なるを自ら責むべし。人をとがむ可らず。我が身をかへりみ修むれば、人の上をとがむるにいとまなし。

書き下し

一人の我に不義無礼なるをば、いかり恨むべからず。それは人のあやまりなれば、我が心にあづからず。是小人の常情なれば、責むるにたらず。なんぞ怒りうらみて、彼と其是非をあらそふべけんや。唯我が身をかへりみて、我が不義不礼なるを自ら責むべし。人をとがむ可らず。我が身をかへりみ修むれば、人の上をとがむるにいとまなし。

現代語訳

人が自分に不義や無礼をしても、怒り恨んではいけません。それは人の過ちですから、自分の心には関わりありません。これは小人の常の情ですから、責めるにも足りません。どうして怒り恨んで、相手とその是非を争うことがありましょうか。ただ自分の身をふり返って、自分の不義や無礼を自ら責めるべきです。人をとがめてはいけません。自分の身をふり返り修めていれば、人のことをとがめる暇はありません。

解説

人から無礼を受けたときの心得を説く段です。益軒は、相手の不義や無礼は相手の過ちであって自分の心とは関係がないとし、怒って是非を争うことを戒めます。代わりに自分の不義や無礼を省みよと言い、自分を修めることに忙しければ人をとがめる暇はないと結びます。これは『論語』の「躬自ら厚くして、薄く人を責む」にも通じる考えです。失礼なメールや態度に振り回されそうなとき、相手の問題と自分の問題を切り分けるという発想は心を守る助けになります。

この章句が説くこと

自省無礼怒り人間関係修身

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