言志四録 / 言志晩録 第百五十条 自ら怨みを致す所以を怨む
恩怨分明。非君子之道。德之可報。固也。至於怨。則當自怨其所以致怨。
新字:恩怨分明。非君子之道。徳之可報。固也。至於怨。則当自怨其所以致怨。
書き下し
恩怨分明なるは、君子の道に非ず。徳の報ゆべきは、固よりなり。怨みに至りては、則ち当に自ら其の怨みを致す所以を怨むべし。
現代語訳
恩と怨みをはっきり区別して、恩には恩で、怨みには怨みで報いるのは、君子の道ではない。受けた恩徳に報いるべきなのは、もちろんである。しかし怨みについては、自分がその怨みを招いた原因をこそ怨むべきである。
解説
恩に報い仇に報いるという、いわば貸し借りをきっちり清算する態度を、一斎は君子の道ではないと言います。恩に報いるのは当然として、怨みについては相手に向けるのではなく、なぜ自分がその怨みを招いたのかを省みよというのです。『論語』には「直を以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ」とあり、一斎はさらに一歩進めて、怨みの矛先を自分へと向け直しています。自分を責めよというより、原因を自分の側に探せということでしょう。仕事の人間関係で不当な扱いを受けたと感じたとき、相手を恨む前に、そこに至った経緯の中で自分にできたことはなかったかを考える。その問いが次の関係を変える手がかりになります。
この章句が説くこと
恩と怨み自省君子人間関係責任
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