大和俗訓 / 巻之三・心術上
是皆情の過ぎたるなり。又あはれむべきを憐まざるは不仁なり。是尤不善なり。哀しむべきをかなしまず、樂しむべきをたのしまざるは、ひたすら情なしといふべし。是等は皆情の不及なり。七情おこれども過不及なくして、禮義にとゞまるべし。是古人の、發乎情止于禮義と云へるなり。およそ天下の道理は、過不及なき中にいたるが至善にして、是道のある所なり。食する一事を以ていはゞ、過不及なく、よき程くらへば、身をやしなふ。是中なり。是道のある所なり。過れば脾胃をやぶり、不及なれば身の養たらず。是皆中にあらず。
新字:是皆情の過ぎたるなり。又あはれむべきを憐まざるは不仁なり。是尤不善なり。哀しむべきをかなしまず、楽しむべきをたのしまざるは、ひたすら情なしといふべし。是等は皆情の不及なり。七情おこれども過不及なくして、礼義にとゞまるべし。是古人の、発乎情止于礼義と云へるなり。およそ天下の道理は、過不及なき中にいたるが至善にして、是道のある所なり。食する一事を以ていはゞ、過不及なく、よき程くらへば、身をやしなふ。是中なり。是道のある所なり。過れば脾胃をやぶり、不及なれば身の養たらず。是皆中にあらず。
書き下し
是皆情の過ぎたるなり。又あはれむべきを憐まざるは不仁なり。是尤不善なり。哀しむべきをかなしまず、楽しむべきをたのしまざるは、ひたすら情なしといふべし。是等は皆情の不及なり。七情おこれども過不及なくして、礼義にとどまるべし。是古人の、情に発して礼義に止まると云へるなり。およそ天下の道理は、過不及なき中にいたるが至善にして、是道のある所なり。食する一事を以ていはば、過不及なく、よき程くらへば、身をやしなふ。是中なり。是道のある所なり。過れば脾胃をやぶり、不及なれば身の養たらず。是皆中にあらず。
現代語訳
これはみな情が過ぎたものです。また、あわれむべきものをあわれまないのは不仁です。これは最も不善です。悲しむべきことを悲しまず、楽しむべきことを楽しまないのは、ひたすら情がないというべきです。これらはみな情の足りないものです。七情は起こっても、過不足なく、礼義にとどまるべきです。これが古人の言う「情に発して礼義に止まる」ということです。およそ天下の道理は、過不足のない中に至るのが最高の善であって、これが道のあるところです。食べるという一事でいえば、過不足なく、ほどよく食べれば身を養います。これが中です。これが道のあるところです。食べすぎれば胃腸を破り、足りなければ身の養いが足りません。これはみな中ではありません。
解説
この章句が説くこと
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