大和俗訓 / 巻之三・心術上
人倫をあつくするは、是天地の御心に順ふなり。人倫を愛するにも次第あり。まづ父母兄弟を愛するは、仁を行ふ本なり。主君は父母にひとし。次に親類、臣下、朋友、次に萬民を愛すべし。又其次に、鳥けだもの蟲魚を愛して、みだりに殺さず。次に草木を愛してみだりにきらず。是人をあはれみ、物を愛する次第なり。されど又惡人をころすも、是義にして仁にかなへり。又樹木も時を以てきり、鳥獸も道理を以て殺すは義なり。鳥獸草木なりとて、みだりに殺しきるは不仁なり。仁者は萬物を一體とす。故に人倫はいふに及ばず、物として愛せざることなし。孔子も、一樹をきり、獸をころすに、其時を以てせざるは孝にあらずとのたまへり。されば禽獸も、草木も、皆天地の生ずるものなれば、みだりに是をそこなふは、天地に對し不孝なりと知るべし。
新字:人倫をあつくするは、是天地の御心に順ふなり。人倫を愛するにも次第あり。まづ父母兄弟を愛するは、仁を行ふ本なり。主君は父母にひとし。次に親類、臣下、朋友、次に万民を愛すべし。又其次に、鳥けだもの虫魚を愛して、みだりに殺さず。次に草木を愛してみだりにきらず。是人をあはれみ、物を愛する次第なり。されど又悪人をころすも、是義にして仁にかなへり。又樹木も時を以てきり、鳥獣も道理を以て殺すは義なり。鳥獣草木なりとて、みだりに殺しきるは不仁なり。仁者は万物を一体とす。故に人倫はいふに及ばず、物として愛せざることなし。孔子も、一樹をきり、獣をころすに、其時を以てせざるは孝にあらずとのたまへり。されば禽獣も、草木も、皆天地の生ずるものなれば、みだりに是をそこなふは、天地に対し不孝なりと知るべし。
書き下し
人倫をあつくするは、是天地の御心に順ふなり。人倫を愛するにも次第あり。まづ父母兄弟を愛するは、仁を行ふ本なり。主君は父母にひとし。次に親類、臣下、朋友、次に万民を愛すべし。又其次に、鳥けだもの虫魚を愛して、みだりに殺さず。次に草木を愛してみだりにきらず。是人をあはれみ、物を愛する次第なり。されど又悪人をころすも、是義にして仁にかなへり。又樹木も時を以てきり、鳥獣も道理を以て殺すは義なり。鳥獣草木なりとて、みだりに殺しきるは不仁なり。仁者は万物を一体とす。故に人倫はいふに及ばず、物として愛せざることなし。孔子も、一樹をきり、獣をころすに、其時を以てせざるは孝にあらずとのたまへり。されば禽獣も、草木も、皆天地の生ずるものなれば、みだりに是をそこなふは、天地に対し不孝なりと知るべし。
現代語訳
人間を厚く愛することは、天地の御心に従うことです。人を愛するにも順序があります。まず父母兄弟を愛するのが、仁を行う根本です。主君は父母と等しいものです。次に親類、家臣、友人、その次に万民を愛すべきです。またその次に、鳥獣や虫魚を愛して、むやみに殺しません。次に草木を愛して、むやみに切りません。これが人をあわれみ、物を愛する順序です。けれども、悪人を殺すことも、これは義であって仁にかなっています。また樹木も時期を選んで切り、鳥獣も道理によって殺すのは義です。鳥獣や草木だからといって、むやみに殺したり切ったりするのは不仁です。仁者は万物を一体とします。だから人間は言うまでもなく、物として愛さないものはありません。孔子も、一本の木を切り、一匹の獣を殺すのに、その時期によらないのは孝ではない、とおっしゃいました。ですから、鳥獣も草木も、みな天地の生んだものなので、むやみにこれを損なうのは、天地に対して不孝であると知るべきです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之二仁は心の徳、愛の理なり。朱子の張敬夫に答ふる書に曰く、愛の理とは、是れ乃ち其の体性を指して言ふ、と。篤信謂ふ、仁に体用有り。然れども心の徳は固より体なり。愛の理も亦た其の体性を指して言へば、則ち用に属せず。倶に仁の体を以て言を為す。雲峯胡氏の心の徳を以て体と為し、愛の理を以て用と為す者は非なり。近ごろ孫詒仲の四書約言を看るに、曰く、事の宜も亦た是れ用に非ず、と。謂ふこころは、事を処するの宜は心に在り、倶に未発を以て言ふ。事の宜と愛の理とは一様なり。猶ほ宜の理と曰ふがごときのみ。愚謂へらく、孫の説の如くんば、則ち事の宜も亦た用に属すべからず。
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『慎思録』巻之二禽獣は己を愛することを知りて、物を愛することを知らず。是れ不仁に由る。故に礼無く義無し。此れ禽獣の道なり。人道は則ち然らず。己を愛し又人を愛す。是れ此れ仁有るに由る。是を以て礼有り義有り。是れ人と禽獣との由りて分かるる所なり。人苟も己に便にして礼無く、己に利ありて義無ければ、則ち禽獣と何ぞ異ならんや。
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『五常訓』巻之三・仁之下君子の道は、唯理にしたがふのみ。理にしたがはざれば、親をすてて他人を愛し、人を愛せずして鳥獣を愛し、近きをすてて遠きを親むは、理にそむきて仁にあらず。君子の人物を愛するは、理一にして、分殊なり。君子の心は、すべて人倫を愛し、万物を愛せずと云ふ事なし。是理一なり。理一とは、すべて万物を愛する理は一なり。愛せずと云ふ事なきなり。理一は是仁なり。人を愛する内にも、親兄弟、妻子、親戚、朋友、臣僕の品あり。是分殊なり。分殊とは、愛する内に、其親しきうとき、高きいやしき、大と小との分によりて、其愛する品に、厚薄のかはりあるを云ふ。分殊は是義なり。禽獣は愛すべしといへども、時により、事により、殺すべき義あり。
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『近思録』巻1 道体復の卦に「七日にして来復す」と言ふが如き、其の間元より断続せず、陽已に復生す。「物極まれば必ず返る」。其の理須らく此の如くなるべし。生有れば便ち死有り、始め有れば便ち終はり有り。明道先生曰く、天地の間、只だ一箇の感と応と有るのみ。更に甚(なん)の事か有らん。仁を問ふ。伊川先生曰く、此れ諸公自ら之を思ふに在り。聖賢の仁を言ふ所の処を将て、類聚して之を観、体認し出だし来たれ。孟子曰く、「惻隠の心は仁なり」と。後人遂に愛を以て仁と為す。愛は自ら是れ情、仁は自ら是れ性、豈に専ら愛を以て仁と為すべけんや。孟子言ふ、「惻隠の心は仁の端なり」と。既に仁の端と曰へば、則ち便ち之を仁と謂ふべからず。退之言ふ、「博愛之を仁と謂ふ」と、非なり。仁者は固より博愛なり、然れども便ち博愛を以て仁と為すは則ち不可なり。仁と心と何ぞ異なると問ふ。曰く、心は譬へば穀種の如し。生の性は、便ち是れ仁なり。陽気の発する処は、乃ち情なり。義は宜と訓じ、礼は別と訓ず、仁は当に何と訓ずべき。説く者覚と訓じ人と訓ずと謂ふも、皆非なり。当に孔孟の仁を言ふ処を合はせて、大概之を研窮すべし、二三歳にして之を得るも未だ晩からざるなり。
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論語・里仁篇子曰わく、ただ仁者のみよく人を好み、よく人を悪む。
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『慎思録』巻之六人、奴僕を使ふの道に於いて、往往心を用ゐず、常に忽略す。夫れ仁者は愛せざること無し。況んや我が僮僕に於いてをや。今日用至近の事を察せざるは、何ぞ思はざるの甚だしきや。此れ之を其の賤悪する所に辟すと謂ふべし。陶淵明、一力を送りて其の子に給する書に曰く、此れも亦人の子なり、善く之を遇すべしと。此の言以て法と為すべし。
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