五常訓 / 巻之三・仁之下
君子の道は、唯理にしたがふのみ。理にしたがはざれば、親をすてゝ他人を愛し、人を愛せずして鳥獸を愛し、近きをすてゝ遠きを親むは、理にそむきて仁にあらず。君子の人物を愛するは、理一にして、分殊なり。君子の心は、すべて人倫を愛し、萬物を愛せずと云ふ事なし。是理一なり。理一とは、すべて萬物を愛する理は一なり。愛せずと云ふ事なきなり。理一は是仁なり。人を愛する内にも、親兄弟、妻子、親戚、朋友、臣僕の品あり。是分殊なり。分殊とは、愛する内に、其親しきうとき、高きいやしき、大と小との分によりて、其愛する品に、厚薄のかはりあるを云ふ。分殊は是義なり。禽獸は愛すべしといへども、時により、事により、殺すべき義あり。
新字:君子の道は、唯理にしたがふのみ。理にしたがはざれば、親をすてゝ他人を愛し、人を愛せずして鳥獣を愛し、近きをすてゝ遠きを親むは、理にそむきて仁にあらず。君子の人物を愛するは、理一にして、分殊なり。君子の心は、すべて人倫を愛し、万物を愛せずと云ふ事なし。是理一なり。理一とは、すべて万物を愛する理は一なり。愛せずと云ふ事なきなり。理一は是仁なり。人を愛する内にも、親兄弟、妻子、親戚、朋友、臣僕の品あり。是分殊なり。分殊とは、愛する内に、其親しきうとき、高きいやしき、大と小との分によりて、其愛する品に、厚薄のかはりあるを云ふ。分殊は是義なり。禽獣は愛すべしといへども、時により、事により、殺すべき義あり。
書き下し
君子の道は、唯理にしたがふのみ。理にしたがはざれば、親をすてて他人を愛し、人を愛せずして鳥獣を愛し、近きをすてて遠きを親むは、理にそむきて仁にあらず。君子の人物を愛するは、理一にして、分殊なり。君子の心は、すべて人倫を愛し、万物を愛せずと云ふ事なし。是理一なり。理一とは、すべて万物を愛する理は一なり。愛せずと云ふ事なきなり。理一は是仁なり。人を愛する内にも、親兄弟、妻子、親戚、朋友、臣僕の品あり。是分殊なり。分殊とは、愛する内に、其親しきうとき、高きいやしき、大と小との分によりて、其愛する品に、厚薄のかはりあるを云ふ。分殊は是義なり。禽獣は愛すべしといへども、時により、事により、殺すべき義あり。
現代語訳
君子の道は、ただ理にしたがうだけです。理にしたがわなければ、親を捨てて他人を愛し、人を愛さずに鳥獣を愛し、近い者を捨てて遠い者に親しむことになり、これは理にそむいて仁ではありません。君子が人や物を愛するのは、理一にして分殊です。君子の心は、すべての人々を愛し、万物を愛さないということがありません。これが理一です。理一とは、すべて万物を愛する理は一つだということです。愛さないということがないのです。理一は仁です。人を愛する中にも、親兄弟・妻子・親戚・朋友・家来の等級があります。これが分殊です。分殊とは、愛する中に、その親しい疎い、高い低い、大と小の分によって、その愛する等級に厚い薄いの違いがあることをいいます。分殊は義です。禽獣は愛すべきものですが、時により事により、殺すべき義があります。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『大和俗訓』巻之三・心術上人倫をあつくするは、是天地の御心に順ふなり。人倫を愛するにも次第あり。まづ父母兄弟を愛するは、仁を行ふ本なり。主君は父母にひとし。次に親類、臣下、朋友、次に万民を愛すべし。又其次に、鳥けだもの虫魚を愛して、みだりに殺さず。次に草木を愛してみだりにきらず。是人をあはれみ、物を愛する次第なり。されど又悪人をころすも、是義にして仁にかなへり。又樹木も時を以てきり、鳥獣も道理を以て殺すは義なり。鳥獣草木なりとて、みだりに殺しきるは不仁なり。仁者は万物を一体とす。故に人倫はいふに及ばず、物として愛せざることなし。孔子も、一樹をきり、獣をころすに、其時を以てせざるは孝にあらずとのたまへり。されば禽獣も、草木も、皆天地の生ずるものなれば、みだりに是をそこなふは、天地に対し不孝なりと知るべし。
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『慎思録』巻之二仁は心の徳、愛の理なり。朱子の張敬夫に答ふる書に曰く、愛の理とは、是れ乃ち其の体性を指して言ふ、と。篤信謂ふ、仁に体用有り。然れども心の徳は固より体なり。愛の理も亦た其の体性を指して言へば、則ち用に属せず。倶に仁の体を以て言を為す。雲峯胡氏の心の徳を以て体と為し、愛の理を以て用と為す者は非なり。近ごろ孫詒仲の四書約言を看るに、曰く、事の宜も亦た是れ用に非ず、と。謂ふこころは、事を処するの宜は心に在り、倶に未発を以て言ふ。事の宜と愛の理とは一様なり。猶ほ宜の理と曰ふがごときのみ。愚謂へらく、孫の説の如くんば、則ち事の宜も亦た用に属すべからず。
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『慎思録』巻之二禽獣は己を愛することを知りて、物を愛することを知らず。是れ不仁に由る。故に礼無く義無し。此れ禽獣の道なり。人道は則ち然らず。己を愛し又人を愛す。是れ此れ仁有るに由る。是を以て礼有り義有り。是れ人と禽獣との由りて分かるる所なり。人苟も己に便にして礼無く、己に利ありて義無ければ、則ち禽獣と何ぞ異ならんや。
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『童子問』卷下問ふ、老氏の虚無と、釈氏の寂滅と、亦異なる所有りや。曰く、浅深有るがごとしと雖も、然れども其の帰は則ち一なり。老氏は天地万物を以て皆虚無と為し、釈氏は天地万物を以て総べて寂滅と為す。後漢書に云ふ、其の道虚無を以て宗と為すと。是れのみ。其の他種種奇特神通を説くは、皆方便の説のみ。老氏に至つては反つて之無し。仏は慈悲済度を以て主と為す。禅に至つては、則ち一向に棄て去る。理を説くこと至つて高ければ、必ず此に到らざることを得ず。其の慈悲済度を主とするは、仁に似たり。然れども義を知らざるは、則ち一なり。殊に知らず、義は天下の大路にして、一日も離るべからざることを。老氏も亦然り。
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