大和俗訓 / 巻之三・心術上
一易に天地の大德を生と云ふ。此理よく味ひて知るべし。生とは生きて死なず、生かして殺さず、生々してやまず。此故に、天地は萬物をうみて育て給ふ。萬物の父母なり。物をあはれみて、生かすことを好み、殺すことをきらひ給ふ。是天地の大德なり。生の理なり。人は天地の子なれば、其心に、天地の大德、生の理そなはりて、天地のめぐみの心を生れつきたり。是を仁といふ。仁は人物をあはれみ愛するの心にして、是卽天地の生物の心なり。萬物は皆天地の產める所なり。其中に、取分人倫は、尤天地のめぐみ厚し。萬物の内にて、いと貴くして、天地の子とする所なり。此故に、天地の御心にしたがひ、仁心を以て物を愛するには、人倫において殊更あつくすべし。
新字:一易に天地の大徳を生と云ふ。此理よく味ひて知るべし。生とは生きて死なず、生かして殺さず、生々してやまず。此故に、天地は万物をうみて育て給ふ。万物の父母なり。物をあはれみて、生かすことを好み、殺すことをきらひ給ふ。是天地の大徳なり。生の理なり。人は天地の子なれば、其心に、天地の大徳、生の理そなはりて、天地のめぐみの心を生れつきたり。是を仁といふ。仁は人物をあはれみ愛するの心にして、是即天地の生物の心なり。万物は皆天地の産める所なり。其中に、取分人倫は、尤天地のめぐみ厚し。万物の内にて、いと貴くして、天地の子とする所なり。此故に、天地の御心にしたがひ、仁心を以て物を愛するには、人倫において殊更あつくすべし。
書き下し
一易に天地の大徳を生と云ふ。此理よく味ひて知るべし。生とは生きて死なず、生かして殺さず、生々してやまず。此故に、天地は万物をうみて育て給ふ。万物の父母なり。物をあはれみて、生かすことを好み、殺すことをきらひ給ふ。是天地の大徳なり。生の理なり。人は天地の子なれば、其心に、天地の大徳、生の理そなはりて、天地のめぐみの心を生れつきたり。是を仁といふ。仁は人物をあはれみ愛するの心にして、是即天地の生物の心なり。万物は皆天地の産める所なり。其中に、取分人倫は、尤天地のめぐみ厚し。万物の内にて、いと貴くして、天地の子とする所なり。此故に、天地の御心にしたがひ、仁心を以て物を愛するには、人倫において殊更あつくすべし。
現代語訳
『易経』に、天地の大いなる徳を生という、とあります。この理をよく味わって知るべきです。生とは、生きて死なず、生かして殺さず、生み続けてやまないことです。ですから天地は万物を生んで育ててくださいます。万物の父母です。物をあわれんで生かすことを好み、殺すことを嫌われます。これが天地の大徳であり、生の理です。人は天地の子ですから、その心に天地の大徳である生の理が備わって、天地の恵みの心を生まれつき持っています。これを仁といいます。仁とは人や物をあわれみ愛する心であり、これがすなわち天地が物を生む心です。万物はみな天地の生んだものです。その中でも、とりわけ人間は、最も天地の恵みが厚いのです。万物の中でたいへん貴く、天地の子とされるものです。ですから、天地の御心に従い、仁の心で物を愛するには、人間に対してことさら厚くすべきです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之二・仁之上故に人にまじはりては、あはれみの心自ら止む事なし。されども其中につきて、まづ父母を愛し、次に兄弟一族を愛するが、仁愛の内にていと大なる理なり。故に親をしたしむを大なりとすといへり。親とは親類なり。先親類をしたしみて後、他人を愛す。是仁を行ふ次第なり。人なりと説き、人の心也と説ける字訓、尤親切にして、仁の理によくかなへるなるべし。周子は徳愛を仁と云ふといへり。愛はあはれむ也。仁は心の徳にて、人をあはれむを云ふ。愛を以て仁を説くは、是仁の大用を説けり。仁の用をなすは、あはれみを人に施すにあり。故に愛を仁と云ふ。夫仁は性なり。性は心に生れつきたる、理なり、体なり。愛は情なり。情とは、性の外物に感じて、動きあらはれたる心を云ふ。
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『慎思録』巻之六人、奴僕を使ふの道に於いて、往往心を用ゐず、常に忽略す。夫れ仁者は愛せざること無し。況んや我が僮僕に於いてをや。今日用至近の事を察せざるは、何ぞ思はざるの甚だしきや。此れ之を其の賤悪する所に辟すと謂ふべし。陶淵明、一力を送りて其の子に給する書に曰く、此れも亦人の子なり、善く之を遇すべしと。此の言以て法と為すべし。
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『論語と算盤』算盤と権利・仁に当つては師に譲らずしかし基督教に説く所の「愛」と論語に教うる所の「仁」とはほとんど一致していると思われるが、そこにも自動的と他動的との差別はある。例えば、耶蘇教の方では「己の欲する所を人に施せ」と教えてあるが、孔子は「己の欲せざる所を人に施すなかれ」と反対に説いているから、一見義務のみにて権利観念が無いようである。しかし両極は一致すと言える言のごとく、この二者も終局の目的はついに一致するものであろうと考える。
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『近思録』巻1 道体復の卦に「七日にして来復す」と言ふが如き、其の間元より断続せず、陽已に復生す。「物極まれば必ず返る」。其の理須らく此の如くなるべし。生有れば便ち死有り、始め有れば便ち終はり有り。明道先生曰く、天地の間、只だ一箇の感と応と有るのみ。更に甚(なん)の事か有らん。仁を問ふ。伊川先生曰く、此れ諸公自ら之を思ふに在り。聖賢の仁を言ふ所の処を将て、類聚して之を観、体認し出だし来たれ。孟子曰く、「惻隠の心は仁なり」と。後人遂に愛を以て仁と為す。愛は自ら是れ情、仁は自ら是れ性、豈に専ら愛を以て仁と為すべけんや。孟子言ふ、「惻隠の心は仁の端なり」と。既に仁の端と曰へば、則ち便ち之を仁と謂ふべからず。退之言ふ、「博愛之を仁と謂ふ」と、非なり。仁者は固より博愛なり、然れども便ち博愛を以て仁と為すは則ち不可なり。仁と心と何ぞ異なると問ふ。曰く、心は譬へば穀種の如し。生の性は、便ち是れ仁なり。陽気の発する処は、乃ち情なり。義は宜と訓じ、礼は別と訓ず、仁は当に何と訓ずべき。説く者覚と訓じ人と訓ずと謂ふも、皆非なり。当に孔孟の仁を言ふ処を合はせて、大概之を研窮すべし、二三歳にして之を得るも未だ晩からざるなり。
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論語・里仁篇子曰わく、ただ仁者のみよく人を好み、よく人を悪む。
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『五常訓』巻之二・仁之上用なり。愛は仁の性の用にあらはれたるなり。体は見えがたければ、あらはれたる用を以て説けり。愛を以て仁を説くは、是用につきて体を示すなり。程子は天地の生意を以て、仁を説けり。生意とは、天地の理生々して物を生ずる意を云ふ。其生意の、人に生れつきたるを仁と云ふ。天にありては生と云ひ、又元と云ふ。人にうけては仁と云ふ。天にあり、人にありて、其名は変れども、其理は一なり。此心に生れつきたる生理内にありて、いまだ外にあらはれざるを仁とす。既にあらはれては情となりて、物にほどこすを愛と云ふ。愛のはじめておこれる、其きざしの端を惻隠の心と云ふ。仁と愛と一理なれど、性情体用の別あり。用を指して体とすべからず。情を指して性とすべからず。
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