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五常訓 / 巻之二・仁之上

用なり。愛は仁の性の用にあらはれたるなり。體は見えがたければ、あらはれたる用を以て說けり。愛を以て仁を說くは、是用につきて體を示すなり。程子は天地の生意を以て、仁を說けり。生意とは、天地の理生々して物を生ずる意を云ふ。其生意の、人に生れつきたるを仁と云ふ。天にありては生と云ひ、又元と云ふ。人にうけては仁と云ふ。天にあり、人にありて、其名は變れども、其理は一なり。此心に生れつきたる生理内にありて、いまだ外にあらはれざるを仁とす。旣にあらはれては情となりて、物にほどこすを愛と云ふ。愛のはじめておこれる、其きざしの端を惻隱の心と云ふ。仁と愛と一理なれど、性情體用の別あり。用を指して體とすべからず。情を指して性とすべからず。

新字:用なり。愛は仁の性の用にあらはれたるなり。体は見えがたければ、あらはれたる用を以て説けり。愛を以て仁を説くは、是用につきて体を示すなり。程子は天地の生意を以て、仁を説けり。生意とは、天地の理生々して物を生ずる意を云ふ。其生意の、人に生れつきたるを仁と云ふ。天にありては生と云ひ、又元と云ふ。人にうけては仁と云ふ。天にあり、人にありて、其名は変れども、其理は一なり。此心に生れつきたる生理内にありて、いまだ外にあらはれざるを仁とす。既にあらはれては情となりて、物にほどこすを愛と云ふ。愛のはじめておこれる、其きざしの端を惻隠の心と云ふ。仁と愛と一理なれど、性情体用の別あり。用を指して体とすべからず。情を指して性とすべからず。

書き下し

用なり。愛は仁の性の用にあらはれたるなり。体は見えがたければ、あらはれたる用を以て説けり。愛を以て仁を説くは、是用につきて体を示すなり。程子は天地の生意を以て、仁を説けり。生意とは、天地の理生々して物を生ずる意を云ふ。其生意の、人に生れつきたるを仁と云ふ。天にありては生と云ひ、又元と云ふ。人にうけては仁と云ふ。天にあり、人にありて、其名は変れども、其理は一なり。此心に生れつきたる生理内にありて、いまだ外にあらはれざるを仁とす。既にあらはれては情となりて、物にほどこすを愛と云ふ。愛のはじめておこれる、其きざしの端を惻隠の心と云ふ。仁と愛と一理なれど、性情体用の別あり。用を指して体とすべからず。情を指して性とすべからず。

現代語訳

情は働きです。愛は仁の性が働きに現れたものです。本体は見えにくいので、現れた働きによって説いたのです。愛によって仁を説くのは、働きについて本体を示したものです。程子は天地の生意によって仁を説きました。生意とは、天地の理が生き生きとして物を生ずる意をいいます。その生意が人に生まれつき備わったものを仁といいます。天にあっては生といい、また元といいます。人に受けては仁といいます。天にあっても人にあっても、その名は変わるけれども、その理は一つです。この心に生まれつき備わった生理が内にあって、まだ外に現れないものを仁とします。すでに現れては情となって、物に施すのを愛といいます。愛が初めて起こった、その兆しの端を惻隠の心といいます。仁と愛とは一つの理ですが、性と情、本体と働きの区別があります。働きを指して本体としてはなりません。情を指して性としてはなりません。

解説

本体(体)と働き(用)の区別を用いて、仁と愛の関係を整理しています。程子(程顥)は天地の生き生きとした生意によって仁を捉え、それは天では元、人では仁と呼ばれると説きました。仁がまだ現れない内なるもの、愛が外に現れたもの、そして愛の最初の兆しが惻隠の心だという三段の説明はわかりやすいものです。気持ちと行動を混同せず、その奥にある心の根を見るという視点は、自分や他人の行動の動機を振り返るときの手がかりになります。

この章句が説くこと

仁愛体用程子惻隠

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