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大和俗訓 / 巻之三・心術上

惟一とは、すでに人心道心をわかち知れば、專に道心を主として、人心の危き方に任せざるを云ふ。かくの如くなれば、一心のしわざ皆道心より出で、人心は道心の下知にしたがふ。允執厥中。中とは、人心のなす所、耳目口體七情のわざ、皆過不及のあやまりなきを云ふ。是道理の至極にて、目あてにする所なり。惟精惟一なれば、萬の身のわざ、皆過不及のあやまりなくして、よきほどの中にかなふなり。飮食ふわざを以ていはゞ、酒食を好むは人心なり。酒食を過すべからずと思ふは道心なり。酒食を好む心にまかせぬれば、たちまち威儀を失ひ、脾胃をそこなふにいたらんとす。是人心は危きなり。酒食を過せば、身の害にならん事をおそるゝ道心はありといへども、人心さかんなれば、おそるゝ心は自らかすかにして、あらはれがたし。

新字:惟一とは、すでに人心道心をわかち知れば、専に道心を主として、人心の危き方に任せざるを云ふ。かくの如くなれば、一心のしわざ皆道心より出で、人心は道心の下知にしたがふ。允執厥中。中とは、人心のなす所、耳目口体七情のわざ、皆過不及のあやまりなきを云ふ。是道理の至極にて、目あてにする所なり。惟精惟一なれば、万の身のわざ、皆過不及のあやまりなくして、よきほどの中にかなふなり。飲食ふわざを以ていはゞ、酒食を好むは人心なり。酒食を過すべからずと思ふは道心なり。酒食を好む心にまかせぬれば、たちまち威儀を失ひ、脾胃をそこなふにいたらんとす。是人心は危きなり。酒食を過せば、身の害にならん事をおそるゝ道心はありといへども、人心さかんなれば、おそるゝ心は自らかすかにして、あらはれがたし。

書き下し

惟一とは、すでに人心道心をわかち知れば、専に道心を主として、人心の危き方に任せざるを云ふ。かくの如くなれば、一心のしわざ皆道心より出で、人心は道心の下知にしたがふ。允に厥の中を執れ。中とは、人心のなす所、耳目口体、七情のわざ、皆過不及のあやまりなきを云ふ。是道理の至極にて、目あてにする所なり。惟精惟一なれば、万の身のわざ、皆過不及のあやまりなくして、よきほどの中にかなふなり。飲食ふわざを以ていはば、酒食を好むは人心なり。酒食を過すべからずと思ふは道心なり。酒食を好む心にまかせぬれば、たちまち威儀を失ひ、脾胃をそこなふにいたらんとす。是人心は危きなり。酒食を過せば、身の害にならん事をおそるる道心はありといへども、人心さかんなれば、おそるる心は自らかすかにして、あらはれがたし。

現代語訳

「惟れ一」とは、人心と道心を見分けて知ったうえで、もっぱら道心を主として、人心の危うい方に任せないことをいいます。このようであれば、心の働きはみな道心から出て、人心は道心の指図に従います。「允に厥の中を執れ」。中とは、人心のなすところ、つまり耳目口体と七情の働きに、どれも過不足の誤りがないことをいいます。これが道理の極みで、目標とするところです。精しく見分け一つに守れば、身のあらゆる働きに過不足の誤りがなく、ほどよい中にかなうのです。飲み食いのことでいえば、酒や食を好むのは人心です。酒や食を過ごしてはいけないと思うのは道心です。酒食を好む心に任せてしまえば、たちまち行儀を失い、胃腸を損なうまでになろうとします。これが人心は危ういということです。酒食を過ごせば体の害になることを恐れる道心はあっても、人心が盛んであれば、恐れる心は自然とかすかになって現れにくいのです。

解説

十六字の後半「惟一」と「允執厥中」の解説です。見分けた後は道心を主人とし、人心をその指図に従わせる。そうすれば身の働きはみな過不足のない「中」にかなうと益軒は言います。抽象論にとどめず、酒と食事という身近な例で説くのが益軒らしいところで、のちの『養生訓』にもつながる視点です。飲み過ぎはいけないと分かっていても、目の前の一杯に負けてしまう。その仕組みを言い当てた一節は、今の食習慣や節酒の工夫にもそのまま当てはまります。

この章句が説くこと

中道心酒食節度養生

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