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大和俗訓 / 巻之三・心術上

故に人心はこれ危しとのたまふ。あやふしとは、たとへば小兒を火のはたに置きたるが如く、醉へる人の涯濠におち入らんとするが如し。道心とは仁義禮智の本性よりおこる善心なり。道心惟微とは、微は少しきにしてかくるゝなり。人心は形氣よりおこる故、外にあらはれ動きて、其勢さかんになり易し。道心は心底にかくれ、微にしてあらはれがたし。故に道心は惟微とのたまふ。人心は盛になりやすく、道心はかくれやすし。此二の者胸中に相まじりて、其治めやうを知らざれば、人心はいよいよ危くして、人欲にながれ、道心は彌かすかにして、つひに人心におほはれて亡ぶ。こゝにおいて、人心をおさへ、道心をたもつ道なくんばあるべからず。惟精とは、人心道心二の間をわかちて、明かにくはしく知るなり。

新字:故に人心はこれ危しとのたまふ。あやふしとは、たとへば小児を火のはたに置きたるが如く、酔へる人の涯濠におち入らんとするが如し。道心とは仁義礼智の本性よりおこる善心なり。道心惟微とは、微は少しきにしてかくるゝなり。人心は形気よりおこる故、外にあらはれ動きて、其勢さかんになり易し。道心は心底にかくれ、微にしてあらはれがたし。故に道心は惟微とのたまふ。人心は盛になりやすく、道心はかくれやすし。此二の者胸中に相まじりて、其治めやうを知らざれば、人心はいよいよ危くして、人欲にながれ、道心は弥かすかにして、つひに人心におほはれて亡ぶ。こゝにおいて、人心をおさへ、道心をたもつ道なくんばあるべからず。惟精とは、人心道心二の間をわかちて、明かにくはしく知るなり。

書き下し

故に人心はこれ危しとのたまふ。あやふしとは、たとへば小児を火のはたに置きたるが如く、酔へる人の涯濠におち入らんとするが如し。道心とは仁義礼智の本性よりおこる善心なり。道心惟微とは、微は少しきにしてかくるるなり。人心は形気よりおこる故、外にあらはれ動きて、其勢さかんになり易し。道心は心底にかくれ、微にしてあらはれがたし。故に道心は惟微とのたまふ。人心は盛になりやすく、道心はかくれやすし。此二の者胸中に相まじりて、其治めやうを知らざれば、人心はいよいよ危くして、人欲にながれ、道心は弥かすかにして、つひに人心におほはれて亡ぶ。ここにおいて、人心をおさへ、道心をたもつ道なくんばあるべからず。惟精とは、人心道心二の間をわかちて、明かにくはしく知るなり。

現代語訳

だから人心は危ういとおっしゃるのです。危ういとは、たとえば幼児を火のそばに置いたようなもの、酔った人が堀に落ちそうになっているようなものです。道心とは、仁義礼智という本性から起こる善い心です。「道心惟れ微なり」の微とは、小さくて隠れていることです。人心は肉体から起こるので、外に現れて動き、その勢いが盛んになりやすいのです。道心は心の底に隠れ、かすかで現れにくいのです。だから道心はかすかだとおっしゃいます。人心は盛んになりやすく、道心は隠れやすいのです。この二つが胸の中で混じり合っていて、その治め方を知らなければ、人心はますます危うくなって人欲に流れ、道心はいよいよかすかになって、ついには人心に覆われて滅んでしまいます。そこで、人心を抑え、道心を保つ道がなくてはなりません。「惟れ精」とは、人心と道心の二つの間を分けて、明らかに詳しく知ることです。

解説

前段の続きで、人心と道心の性質の違いを具体的にたとえています。人心は火のそばの幼児や酔って堀に落ちかけた人のように危なっかしく、道心は心の底に隠れてかすかにしか現れません。放っておけば強いほうが弱いほうを覆い尽くすので、まず両者を見分けること、すなわち「精」が第一歩だと説きます。衝動と良心のどちらが今動いているかを見分けるという工夫は、怒りや買い物の衝動に気づく今日の自己観察の方法にも重なります。

この章句が説くこと

道心人心精良心欲

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