大和俗訓 / 巻之二・為学下
一聖人の書を讀み、道を好みて日を送る人は、誠に諸人にすぐれ、一生の間常に樂みて、思出おほき世なるべし。かくの如くならば、人とむまれたるかひありて、朝にすでに道を聞きなば、夕に死ぬとも更にうらみ有るべからず。貧賤にして時にあはざるは、憂ふるに足らざるべし。もし聖人の道を學ばずして、道を知らずんば、此世に生ける時は禽獸と同じくして、人と生れたるかひなく、死して後は草木とおなじく朽ちはてゝ、人のほむべき佳名を殘す事なく、後世にいたりて知る人なかるべし。われも人も皆かくの如くなれど、人と斯く生れし身を、とりけだもの草木に同じくせん事、本意なきことならずや。これを口をしと思はゞ、あに此うれひを免かるべき道なかるべきや。人の身は再び得がたし。むなしく此世を過すべからず。
新字:一聖人の書を読み、道を好みて日を送る人は、誠に諸人にすぐれ、一生の間常に楽みて、思出おほき世なるべし。かくの如くならば、人とむまれたるかひありて、朝にすでに道を聞きなば、夕に死ぬとも更にうらみ有るべからず。貧賤にして時にあはざるは、憂ふるに足らざるべし。もし聖人の道を学ばずして、道を知らずんば、此世に生ける時は禽獣と同じくして、人と生れたるかひなく、死して後は草木とおなじく朽ちはてゝ、人のほむべき佳名を残す事なく、後世にいたりて知る人なかるべし。われも人も皆かくの如くなれど、人と斯く生れし身を、とりけだもの草木に同じくせん事、本意なきことならずや。これを口をしと思はゞ、あに此うれひを免かるべき道なかるべきや。人の身は再び得がたし。むなしく此世を過すべからず。
書き下し
一聖人の書を読み、道を好みて日を送る人は、誠に諸人にすぐれ、一生の間常に楽みて、思出おほき世なるべし。かくの如くならば、人とむまれたるかひありて、朝にすでに道を聞きなば、夕に死ぬとも更にうらみ有るべからず。貧賤にして時にあはざるは、憂ふるに足らざるべし。もし聖人の道を学ばずして、道を知らずんば、此世に生ける時は禽獣と同じくして、人と生れたるかひなく、死して後は草木とおなじく朽ちはてて、人のほむべき佳名を残す事なく、後世にいたりて知る人なかるべし。われも人も皆かくの如くなれど、人と斯く生れし身を、とりけだもの草木に同じくせん事、本意なきことならずや。これを口をしと思はば、あに此うれひを免かるべき道なかるべきや。人の身は再び得がたし。むなしく此世を過すべからず。
現代語訳
聖人の書を読み、道を好んで日々を送る人は、まことに多くの人にまさり、一生のあいだいつも楽しんで、思い出の多い生涯となるでしょう。このようであれば、人と生まれたかいがあって、朝に道を聞いたなら夕方に死んでも少しも恨みはないはずです。貧しく身分が低く時勢に恵まれないことは、憂えるに足りないでしょう。もし聖人の道を学ばずに道を知らなければ、この世に生きているときは鳥獣と同じで、人と生まれたかいがなく、死んだ後は草木と同じく朽ち果てて、人がほめるような良い名を残すこともなく、後世に至って知る人もいないでしょう。私も人もみなこのようになりがちですが、人とこうして生まれた身を、鳥獣や草木と同じにしてしまうのは、不本意なことではないでしょうか。これを残念と思うなら、どうしてこの憂いを免れる道がないことがありましょう。人の身は二度と得がたいものです。むなしくこの世を過ごしてはいけません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之二大凡そ道を聞くこと、亦た各々禀性の高下に随ひて浅深有るのみ。然れども其の生質通明淳正の士に非ざれば、則ち殆ど此に到ること易からず。偏僻蔽昧の徒は、聞くこと能はざる所なり。故に力を経術に用ゐること数十年と雖も、亦た未だ其の藩籬を窺ふこと能はざる者有り。是れ章句の習、訓詁の学と謂ふべきなり。
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『慎思録』巻之五凡そ事は必ず咨訪して後に明らかなり。故に曰く、問ふことを好めば則ち裕かなり、と。必ず経歴して後に熟す。故に曰く、一事に躓く者は一智を長ず、と。苟も咨訪せずして自ら用ひ、経歴せずして妄りに行へば、亦殆ふいかなと曰ふ。朱子曰く、学は道を知るを以て本と為す。道を知れば則ち学純にして心正し、と。愚謂ふ、是れ学を為すの本旨なり。学者の志を立つる、宜しく此くの如くなるべし。蓋し学は将に以て道を知らんとす。苟も学を為して、道を知るを以て本と為さずんば、博学広聞すと雖も益無く、徒に心思を労するのみ。所謂多しと雖も亦奚を以て為さんといふものなり。夫れ道を知るは固より極めて難し。然れども道を知るを以て志と為さざれば、則ち学を為すこと駁雑にして純一ならず、心を立つること邪僻にして平正ならず。其の本を失ふに因るなり。然らば則ち宏才博聞の人に逾ゆる有りと雖も、儒者の学と為すべからず。百家衆技の流と相同じきを免れず。此れ即ち俗学の習ひにして、亦貴しと為すに足らず。若し乃ち朱子の言を以て之を反覆して言はば、道を知らんと欲すれば、則ち先づ須らく学純にして心正しきを要すべし。苟も学雑にして純一ならず、心正しからずして邪僻なれば、則ち道と相乖戻す。何を以てか道を知るを得んや。
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『慎思録』巻之四食は以て生を養ふ。饕餮なる者は此を以て生を傷る。薬は以て人を救ふ。庸医は此を以て人を殺す。学は以て性を治む。小人は此を以て性を傷る。此の三者は、本是れ人を益するの物事なり。然り而して人を害すること此の如きは、之を用ふるの其の道を失ふに由るなり。
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『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段曰く、其所は、師たる人も、さつぱりとは済ねども、此は聖人のことにて、今の学者の知るべき所に非ず、忠恕のことなりと云て、此うへのことは、決して沙汰なきことなり。答、汝は今の学者の知るべき所に非ずと云。聖人の教は、古今に通じて変ことなし。今と古とを分るは、仏氏の末世と云教なり。混雑すべからず。扨孔子、適も無く莫も無しとの玉ひ、又顔淵の、前に在りと思へば忽焉として後に在りとの玉ひ、孟子、道は一のみとの玉ふ。加様の類多し。汝はいかゞ心得居られ候や。
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『慎思録』巻之一人生まれて学ばざれば、生まれざると同じ。学びて道を知らざれば、学ばざると同じ。知りて行ふこと能はざれば、知らざると同じ。故に人為る者は、必ず学ばざるべからず。学を為す者は、必ず道を知らざるべからず。道を知る者は、必ず行はざるべからず。道を知ること至つて難し。古より英才敦行の士、多からずと為さず。然れども道を知る者は鮮し。学問思弁の功、闕くべからざる所以なり。
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『文武訓』文訓上之末一世に、文学なくしてみだりに道を説く人あり。孝弟忠信などの道を行ふことは、一文不通の愚夫愚婦も、其はしをば知りやすく行ひやすし。是を以て、学なき人に説ききかするはよし。かなの書をよみ、人の物語をきき覚えても、浅近なることは知りやすし。草医の、近世の名医の作れる国字書の方書を読みても、軽き病をばいやすが如し。しかるに、義理の学は、天地人の大道を知る事なれば、まづ文字をしり、四書五経以下、歴代の聖賢の書に通じ、三史、通鑑など、古今の事にもひろく通じてやうやく知るべし。かくの如く、博く書を見ても道をしらざる人は多し。聖賢の書に通ぜず、文学つたなくしては大道に通じがたし。文学なくして道を知りがたき事、たとへば通事なくして異国の人の言語に通じがたきが如く、又、小刀にて大厦を作らんとするがごとし。文学つたなく経伝にくらくしては、大道は知りがたかるべし。
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