大和俗訓 / 巻之二・為学下
一聖人は人倫の至なり。吾がともがらの口にかけまくは、いともかしこし。されど弓いる者は初より的に志し、道行く者は初より家に志すがごとし。聖人をめあてとして、其志を立つる事は高くすべし。然るに、千里の道も出でたつ足もとの一步よりはじむる理なれば、道を行ふ事は、まづ日用の近くひきゝ所より行ひて、やうやく經登りて高きにいたるべし。初より品を越えて高くいたらんとするは、翼なくして天に上らんとするに同じ。必此理なき事を知るべし。たとへば高山にのほるにも、先ふもとの一足より始むるが如し。一とびに山上には上りがたし。萬事は次第にしたがはざれば成就しがたし。近道なる事は、口にいふ所は快しといへども、道理のなき事は成らざるものなれば、虛妄の說、無用の辯は、いたづらごとなり。
新字:一聖人は人倫の至なり。吾がともがらの口にかけまくは、いともかしこし。されど弓いる者は初より的に志し、道行く者は初より家に志すがごとし。聖人をめあてとして、其志を立つる事は高くすべし。然るに、千里の道も出でたつ足もとの一歩よりはじむる理なれば、道を行ふ事は、まづ日用の近くひきゝ所より行ひて、やうやく経登りて高きにいたるべし。初より品を越えて高くいたらんとするは、翼なくして天に上らんとするに同じ。必此理なき事を知るべし。たとへば高山にのほるにも、先ふもとの一足より始むるが如し。一とびに山上には上りがたし。万事は次第にしたがはざれば成就しがたし。近道なる事は、口にいふ所は快しといへども、道理のなき事は成らざるものなれば、虚妄の説、無用の弁は、いたづらごとなり。
書き下し
一聖人は人倫の至なり。吾がともがらの口にかけまくは、いともかしこし。されど弓いる者は初より的に志し、道行く者は初より家に志すがごとし。聖人をめあてとして、其志を立つる事は高くすべし。然るに、千里の道も出でたつ足もとの一歩よりはじむる理なれば、道を行ふ事は、まづ日用の近くひきき所より行ひて、やうやく経登りて高きにいたるべし。初より品を越えて高くいたらんとするは、翼なくして天に上らんとするに同じ。必此理なき事を知るべし。たとへば高山にのほるにも、先ふもとの一足より始むるが如し。一とびに山上には上りがたし。万事は次第にしたがはざれば成就しがたし。近道なる事は、口にいふ所は快しといへども、道理のなき事は成らざるものなれば、虚妄の説、無用の弁は、いたづらごとなり。
現代語訳
聖人は人倫の極みです。私たちの口にのぼせるのは、まことに恐れ多いことです。けれども弓を射る者は初めから的に狙いを定め、道を行く者は初めから家を目指すようなものです。聖人を目当てとして、その志を立てることは高くすべきです。しかし千里の道も出発する足もとの一歩から始まる理ですから、道を行うことは、まず日常の身近で低いところから行って、だんだん段を踏んで登り、高いところに至るべきです。初めから段階を飛び越えて高く至ろうとするのは、翼がないのに天に昇ろうとするのと同じです。必ずそのような理はないことを知るべきです。たとえば高い山に登るにも、まず麓の一歩から始めるようなものです。ひと跳びに山の上には登れません。万事は順序に従わなければ成就しがたいのです。近道のようなことは、口で言うぶんには快いけれども、道理のないことは成らないものですから、根拠のない説や無用の弁舌は無駄ごとです。
解説
この章句が説くこと
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『大和俗訓』巻之二・為学下一いまだ書を読まざる人の為にいはば、此道を行はんと志を立つる事は、まことに第一なるべし。されど経書をはじめとして、ひろく古の書を読まざれば、聖人の教を知らで道にくらく、言ふ事行ふ事、ひが事のみぞあるべき。又古来歴代の事を知らでは、今日の鑑とすべきやうなし。ここを以て、つとめて朝夕書を読み、古をかんがふべし。いかに生れつきたる才ありとも、稽古なくては、おのれと道を知り、古今天下の変を知るべからず。もし又すでに書を読める人の為にいはば、学問は、ただわが身のあやまりを改め、善にうつりて身ををさむる工夫を専一にすべし。書をひろく読み、古今天下の事に通ずとも、もし我が身のあやまちを改めず、善を行はずばいたづら事なり。しかれば学問は、まづ志を立て、身に行ふを第一とすべし。書を読むは、これ第二義なり。
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『文武訓』文訓下一日本の人、むかし今、仏をたふとびて仏を念じ、仏経を読みて成仏せんことを、実心に好む人多し。世間に、聖人の書をよみて、聖人のたふとぶべきことを知れる人、また古今に多し。しかれども、聖人の道を実心にこのみて、わが身のひがごとをあらため、聖人にならんとおもへる人一人もなし。成仏をねがふ人に及ばず。是、いかにしてか斯くの如くなるや。学者みづから恥づべし。
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史記 刺客列伝高漸離名姓を変じて人の庸保と為り、宋子に匿れ作す。之を久しくして、作苦しく、其の家の堂上に客の筑を撃つを聞き、傍偟して去る能はず。毎に言を出だして曰く、「彼に善有り善ならざる有り」と。従者以て其の主に告げて曰く、「彼の庸は乃ち音を知り、竊かに是非を言ふ」と。家の丈人召して前に筑を撃たしむ。一坐善しと称し、酒を賜ふ。而して高漸離、久しく隠れて畏約すること窮まる時無きを念ひ、乃ち退きて、其の装匣の中の筑と其の善衣とを出だし、容貌を更めて前む。坐を挙げて客皆驚き、下りて与に抗礼し、以て上客と為す。筑を撃ちて歌はしむ。客流涕して去らざる者無し。宋子伝へて之を客とし、秦の始皇に聞こゆ。秦の始皇召し見る。人識る者有りて、乃ち曰く、「高漸離なり」と。秦の皇帝其の善く筑を撃つを惜しみ、重ねて之を赦し、乃ち其の目を矐す。筑を撃たしむるに、未だ嘗て善しと称せずんばあらず。稍く益々之に近づく。高漸離乃ち鉛を以て筑の中に置き、復た進みて近づくを得、筑を挙げて秦の皇帝を樸つ。中らず。是に於て遂に高漸離を誅し、身を終ふるまで復た諸侯の人に近づかず。魯句践已に荊軻の秦王を刺せしを聞き、私かに曰く、「嗟乎、惜しいかな其の刺剣の術を講ぜざりしや。甚だしいかな吾の人を知らざるや。曩者吾之を叱す。彼乃ち我を以て人に非ずと為せしならん」と。太史公曰く、世に荊軻を言ふに、其の太子丹の命を称して、「天粟を雨らし、馬角を生ず」とするや、太だ過ぎたり。又荊軻秦王を傷つくと言ふも、皆非なり。始め公孫季功・董生、夏無且と游び、具に其の事を知り、余の為に之を道ふこと是の如し。曹沫より荊軻に至るまで五人、此れ其の義或いは成り或いは成らず。然れども其の意を立つること較然として、其の志を欺かず、名後世に垂る。豈に妄ならんや。
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