大和俗訓 / 巻之二・為学下
一いまだ書を讀まざる人の爲にいはゞ、此道を行はんと志を立つる事は、まことに第一なるべし。されど經書をはじめとして、ひろく古の書を讀まざれば、聖人の敎を知らで道にくらく、言ふ事行ふ事、ひが事のみぞあるべき。又古來歷代の事を知らでは、今日の鑑とすべきやうなし。こゝを以て、つとめて朝夕書を讀み、古をかんがふべし。いかに生れつきたる才ありとも、稽古なくては、おのれと道を知り、古今天下の變を知るべからず。もし又すでに書を讀める人の爲にいはゞ、學問は、たゞわが身のあやまりを改め、善にうつりて身ををさむる工夫を專一にすべし。書をひろく讀み、古今天下の事に通ずとも、もし我が身のあやまちを改めず、善を行はずばいたづら事なり。しかれば學問は、まづ志を立て、身に行ふを第一とすべし。書を讀むは、これ第二義なり。
新字:一いまだ書を読まざる人の為にいはゞ、此道を行はんと志を立つる事は、まことに第一なるべし。されど経書をはじめとして、ひろく古の書を読まざれば、聖人の教を知らで道にくらく、言ふ事行ふ事、ひが事のみぞあるべき。又古来歴代の事を知らでは、今日の鑑とすべきやうなし。こゝを以て、つとめて朝夕書を読み、古をかんがふべし。いかに生れつきたる才ありとも、稽古なくては、おのれと道を知り、古今天下の変を知るべからず。もし又すでに書を読める人の為にいはゞ、学問は、たゞわが身のあやまりを改め、善にうつりて身ををさむる工夫を専一にすべし。書をひろく読み、古今天下の事に通ずとも、もし我が身のあやまちを改めず、善を行はずばいたづら事なり。しかれば学問は、まづ志を立て、身に行ふを第一とすべし。書を読むは、これ第二義なり。
書き下し
一いまだ書を読まざる人の為にいはば、此道を行はんと志を立つる事は、まことに第一なるべし。されど経書をはじめとして、ひろく古の書を読まざれば、聖人の教を知らで道にくらく、言ふ事行ふ事、ひが事のみぞあるべき。又古来歴代の事を知らでは、今日の鑑とすべきやうなし。ここを以て、つとめて朝夕書を読み、古をかんがふべし。いかに生れつきたる才ありとも、稽古なくては、おのれと道を知り、古今天下の変を知るべからず。もし又すでに書を読める人の為にいはば、学問は、ただわが身のあやまりを改め、善にうつりて身ををさむる工夫を専一にすべし。書をひろく読み、古今天下の事に通ずとも、もし我が身のあやまちを改めず、善を行はずばいたづら事なり。しかれば学問は、まづ志を立て、身に行ふを第一とすべし。書を読むは、これ第二義なり。
現代語訳
まだ書を読んでいない人のために言えば、この道を行おうと志を立てることは、まことに第一でしょう。けれども経書をはじめとして、広く古の書を読まなければ、聖人の教えを知らず道に暗く、言うことも行うことも間違いばかりになるでしょう。また古来の歴代の出来事を知らなければ、今日の手本にすることもできません。ですから努めて朝夕書を読み、古をよく考えるべきです。どんなに生まれつきの才があっても、昔を学ぶことがなければ、自分ひとりで道を知り、古今天下の変化を知ることはできません。もしまた、すでに書を読んでいる人のために言えば、学問はただ自分の過ちを改め、善に移って身を修める工夫をひたすらにすべきです。書を広く読み、古今天下のことに通じても、もし自分の過ちを改めず善を行わなければ、無駄なことです。ですから学問は、まず志を立て、身に行うことを第一とすべきです。書を読むのは第二のことです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『大和俗訓』巻之二・為学下一博学にして経書に通じ、義理を説く人も、其心術行迹あしくして、俗人におとれるもあり。是道に志なくして、道を我が心に得ざればなり。口に読みならひ、目に見おぼえても、其理を心に得ざれば益なし。たとへば美食芳樽前に多くつらなれども、これを飲みくらはざれば、食にもあく事なく、酒にゑふ事もなきが如し。書を読んで行あしき人あるをうたがふ人あり。これを以て疑をはらすべし。書をよみても道に志なくば、文字を知れるのみにて、心において益なし。是無用の学なり。ここを以て、学をするにはまづ志を本とすべし。
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『童子問』卷下問ふ、今時の学者、何ぞ聖学に志す者の少なくして、雑学を好む者の多きや、と。曰く、豪傑なる者は少なくして、庸材なる者は多し。古今皆然り。予養鷹者の説を聞く。鷹の捷き者は、必ず先づ鶴の最も大なる者を撃つ。其の捷からざる者は、必ず鶴の小なる者を見て之を撃つ。鷹の最も神俊なる者を、海東青と号す。建酋に産し、海内には得べからず、と。韓欧の古文を好む者既に少なく、伊洛の学に志す者益々少なし。況んや孔孟の正学に志す者は、千万人中の一人のみ。其の韓欧の古文を好む者は、鶴の稍小なる者を撃つの類なり。伊洛の学に志す者は、鷹の捷き者なり。孔孟の正学に志す者は、建酋の海東青なり。其の雑学・詞章・記誦の類を好む者は、亦小隼の麻雀鶉鷃を撃つの類のみ。貴ぶに足らず。子其れ自ら励む所を知らざるべけんや。
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「孔子東山に登りて魯を小とし、泰山に登りて天下を小とす。故に海を観る者には水と為し難く、聖人の門に游ぶ者には言と為し難し。水を観るに術有り、必ず其の瀾を観る。日月明有り、光を容るるところ必ず照らす。流水の物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」
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『大和俗訓』巻之一・為学上一学問はまづ志を立つるを以て本とす。志とは心のゆく所なり。道を知り行ひて、君子に至らんと思ふ心常におこたりなく、念々やまざるを、志を立つると云ふ。志たたざれば学ぶこと成就せず。故に古人も、志ある者は其事つひになるといひ、又志たつは学の半なりといへり。たとへば弓いる者の、的に志し、道ゆく者の、宿に志すが如し。よろづの事、まづ本をつとむべし。志を立つるは学問の本なり。志を立つるには勇猛なるべし。柔弱にして怠るべからず。おこたれば験なくしてはかゆかず。道を求むるにせちなる志は、たとへば飢ゑて食を求め、渇きて湯水を求むるが如くなるべしわづかに悠々としておこたれば、志すたる。唯此道に心を一すぢにすべし。
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うひ山ぶみ・注[ロ]かのしなじなある学びのすぢすぢ外の国の事に用ひんよりは、わがみづからの国の事に用ひまほしく思ふ也、その勝劣のさだなどは、姑くさしおきて、まづよその事にのみかゝづらひて、わが内の国の事をしらざらんは、くちをしきわざならざらんや、志を高く大きにたてて云々、すべて学問は、はじめよりその心ざしを、高く大きに立テて、その奥を究めつくさずはやまじと、かたく思ひまうくべし、此志よわくては、学問すゝみがたく、倦怠るもの也、主としてよるべきすぢは云々、道を学ぶを主とすべき子細は、今さらいふにも及ばぬことなれども、いさゝかいはば、まづ人として、人の道はいかなるものぞといふことを、しらで有べきにあらず、学問の志なきものは、論のかぎりにはあらず、かりそめにもその心ざしあらむ者は、同じくは道のために、力を用ふべきこと也、然るに道の事をば、なほざりにさしおきて、たゞ末の事にのみ、かゝづらひをらむは、学問の本意にあらず、さて道を学ぶにつきては、天地の間にわたりて、殊にすぐれたる、まことの道の伝はれる、御国に生れ来つるは、
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『大和俗訓』巻之二・為学下一聖人は人倫の至なり。吾がともがらの口にかけまくは、いともかしこし。されど弓いる者は初より的に志し、道行く者は初より家に志すがごとし。聖人をめあてとして、其志を立つる事は高くすべし。然るに、千里の道も出でたつ足もとの一歩よりはじむる理なれば、道を行ふ事は、まづ日用の近くひきき所より行ひて、やうやく経登りて高きにいたるべし。初より品を越えて高くいたらんとするは、翼なくして天に上らんとするに同じ。必此理なき事を知るべし。たとへば高山にのほるにも、先ふもとの一足より始むるが如し。一とびに山上には上りがたし。万事は次第にしたがはざれば成就しがたし。近道なる事は、口にいふ所は快しといへども、道理のなき事は成らざるものなれば、虚妄の説、無用の弁は、いたづらごとなり。
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