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大和俗訓 / 巻之二・為学下

一書をよむ人は、まづ其學問のすぢを正しくし、又心術を正しくすべし。學問も心法も一すぢに天地聖人の道にしたがひて、一點も邪をまじへずして純一なるべし。聖人の道を好むとも、其間に、又少しにても聖人の道に似ざる所あらば、純一なりといひがたし。學純一なれば、其心法も邪なくして正し。心法正しければ、行事にあらはし發するも皆正し。たとへば道を行く人の、まづ道のすぢを尋ね知るが如し。道のすぢを知らずして、たゞに行く事をのみつとめば、たとへば都にある人、奧州に行かんとて、まづ淀山崎へむかひ行くが如し。いよいよつとめ行くほど、いよいよ奥州には遠ざかるべし。是唯道をいそぐ事を知りて、道をあやまる事を知らざるなり。

新字:一書をよむ人は、まづ其学問のすぢを正しくし、又心術を正しくすべし。学問も心法も一すぢに天地聖人の道にしたがひて、一点も邪をまじへずして純一なるべし。聖人の道を好むとも、其間に、又少しにても聖人の道に似ざる所あらば、純一なりといひがたし。学純一なれば、其心法も邪なくして正し。心法正しければ、行事にあらはし発するも皆正し。たとへば道を行く人の、まづ道のすぢを尋ね知るが如し。道のすぢを知らずして、たゞに行く事をのみつとめば、たとへば都にある人、奥州に行かんとて、まづ淀山崎へむかひ行くが如し。いよいよつとめ行くほど、いよいよ奥州には遠ざかるべし。是唯道をいそぐ事を知りて、道をあやまる事を知らざるなり。

書き下し

一書をよむ人は、まづ其学問のすぢを正しくし、又心術を正しくすべし。学問も心法も一すぢに天地聖人の道にしたがひて、一点も邪をまじへずして純一なるべし。聖人の道を好むとも、其間に、又少しにても聖人の道に似ざる所あらば、純一なりといひがたし。学純一なれば、其心法も邪なくして正し。心法正しければ、行事にあらはし発するも皆正し。たとへば道を行く人の、まづ道のすぢを尋ね知るが如し。道のすぢを知らずして、ただに行く事をのみつとめば、たとへば都にある人、奥州に行かんとて、まづ淀山崎へむかひ行くが如し。いよいよつとめ行くほど、いよいよ奥州には遠ざかるべし。是唯道をいそぐ事を知りて、道をあやまる事を知らざるなり。

現代語訳

書を読む人は、まずその学問の筋を正しくし、また心の持ち方を正しくすべきです。学問も心の法も一筋に天地と聖人の道に従って、少しも邪なものを交えず純一であるべきです。聖人の道を好んでいても、そのあいだに少しでも聖人の道に似ないところがあれば、純一とは言いがたいのです。学問が純一であれば、心の法も邪がなく正しいのです。心の法が正しければ、行いに表し発するものもみな正しいのです。たとえば道を行く人が、まず道筋を尋ね知るようなものです。道筋を知らずに、ただ進むことばかりに努めれば、たとえば都にいる人が奥州へ行こうとして、まず淀や山崎へ向かって行くようなものです。いよいよ努めて進むほど、いよいよ奥州からは遠ざかるでしょう。これはただ道を急ぐことを知っていて、道を誤っていることを知らないのです。

解説

京都から奥州(東北)へ行くのに、反対方向の淀や山崎へ急いで向かえば、努力するほど目的地から遠ざかるという、身近な地名を使ったたとえが印象的です。益軒は、努力の量より先に、学ぶ方向が正しいかを確かめよと説きます。ここでいう正しさは聖人の道、つまり儒学の筋です。今でも、がむしゃらに働く前に目標とやり方が合っているかを点検することは、仕事でも勉強でも最初にすべきことだと教えてくれます。

この章句が説くこと

学術心術方向学問正しさ

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