五常訓 / 巻之三・仁之下
一孟子は、仁人心也と說き、學問之道無他、求其放心而已矣と說き給ふ。求放心とは、仁心の、外物の欲にひかれて取失へるををさめて、求め得べしとなり。學問の要は、わが仁心の放れたるを求め得るより外にこれなし。放心を求むるの工夫は、敬にあり。敬とは、おそれつゝしみて、此心をまもり保つ工夫なり。內にある仁心をば、外におしひろめ行ふべし。外物にひかれて、仁心を放ち失へるをば、をさめて內に入るべし。
新字:一孟子は、仁人心也と説き、学問之道無他、求其放心而已矣と説き給ふ。求放心とは、仁心の、外物の欲にひかれて取失へるををさめて、求め得べしとなり。学問の要は、わが仁心の放れたるを求め得るより外にこれなし。放心を求むるの工夫は、敬にあり。敬とは、おそれつゝしみて、此心をまもり保つ工夫なり。内にある仁心をば、外におしひろめ行ふべし。外物にひかれて、仁心を放ち失へるをば、をさめて内に入るべし。
書き下し
一孟子は、仁人心也と説き、学問の道は他無し、其の放心を求むるのみと説き給ふ。求放心とは、仁心の、外物の欲にひかれて取失へるををさめて、求め得べしとなり。学問の要は、わが仁心の放れたるを求め得るより外にこれなし。放心を求むるの工夫は、敬にあり。敬とは、おそれつつしみて、此心をまもり保つ工夫なり。内にある仁心をば、外におしひろめ行ふべし。外物にひかれて、仁心を放ち失へるをば、をさめて内に入るべし。
現代語訳
孟子は「仁は人の心である」と説き、「学問の道はほかでもない、その放たれた心を求めるだけである」と説かれました。放心を求めるとは、仁の心が外の物の欲に引かれて取り失われたのを、収めて求め得るべきだということです。学問の要点は、自分の仁の心の放たれたのを求め得ることのほかにはありません。放心を求める工夫は敬にあります。敬とは、畏れ慎んで、この心を守り保つ工夫です。内にある仁の心は、外に押し広めて行うべきです。外の物に引かれて仁の心を放ち失ったものは、収めて内に入れるべきです。
解説
この章句が説くこと
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