囲炉夜話 / 第二百十二則・學を為すは靜敬の二字に外ならず
為學不外靜敬二字。教人先去驕惰二字。
新字:為学不外静敬二字。教人先去驕惰二字。
書き下し
學を為すは靜敬の二字に外ならず。人を教ふるは先づ驕惰の二字を去る。
現代語訳
学問をすることは、「静」と「敬」の二字に尽きます。人を教えるには、まず「驕(おごり)」と「惰(なまけ)」の二字を取り除きます。
解説
学ぶ側と教える側の要を、それぞれ二字にまとめた短い対句です。静とは心を落ち着けること、敬とは心を引き締めて一つに集中することで、どちらも宋代の儒学が重んじた修養の言葉です。学ぶ人はこの二字を外れなければよいと言います。下の句は、人を教えるときにまず取り除くべきは驕りと怠りだと言います。驕れば人の言葉が入らず、怠れば教えが続かないからです。上は自分に加えるもの、下は相手から除くものと、向きが逆になっているのが工夫です。学び始めの人にも教える立場の人にも、最初に確かめるべき点を示してくれます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
静敬学問教育修身
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