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大和俗訓 / 巻之二・為学下

一大學に、格物致知を以て道理を明かに知るを、身ををさめ人ををさむる勤のはじめとす。格物とは萬事萬物の道理にきはめ至るを云ひ、致知とはわが心の知をきはめて明かにするなり。格物の次第は、まづ五常五倫の道、身を治め家をとゝのふるまぢかき事よりして、次第を以て、やうやく國天下ををさむる理にきはめ至る。是格物なり。かくのごとく萬事萬物につきて理をきはむれば、わが心の知おのづから明かになる。是致知なり。故に格物の外に致知の工夫なし。是大學のつとめのはじめなり。其次は誠意にあり。意とは心のはじめておこる所の苗なり。心の體はしづかにして、善惡いまだあらはれず。其初てうごく時、善も惡もあらはる。意のおこる時に、このむと惡むとの二あり。

新字:一大学に、格物致知を以て道理を明かに知るを、身ををさめ人ををさむる勤のはじめとす。格物とは万事万物の道理にきはめ至るを云ひ、致知とはわが心の知をきはめて明かにするなり。格物の次第は、まづ五常五倫の道、身を治め家をとゝのふるまぢかき事よりして、次第を以て、やうやく国天下ををさむる理にきはめ至る。是格物なり。かくのごとく万事万物につきて理をきはむれば、わが心の知おのづから明かになる。是致知なり。故に格物の外に致知の工夫なし。是大学のつとめのはじめなり。其次は誠意にあり。意とは心のはじめておこる所の苗なり。心の体はしづかにして、善悪いまだあらはれず。其初てうごく時、善も悪もあらはる。意のおこる時に、このむと悪むとの二あり。

書き下し

一大学に、格物致知を以て道理を明かに知るを、身ををさめ人ををさむる勤のはじめとす。格物とは万事万物の道理にきはめ至るを云ひ、致知とはわが心の知をきはめて明かにするなり。格物の次第は、まづ五常五倫の道、身を治め家をととのふるまぢかき事よりして、次第を以て、やうやく国天下ををさむる理にきはめ至る。是格物なり。かくのごとく万事万物につきて理をきはむれば、わが心の知おのづから明かになる。是致知なり。故に格物の外に致知の工夫なし。是大学のつとめのはじめなり。其次は誠意にあり。意とは心のはじめておこる所の苗なり。心の体はしづかにして、善悪いまだあらはれず。其初てうごく時、善も悪もあらはる。意のおこる時に、このむと悪むとの二あり。

現代語訳

『大学』では、格物・致知によって道理をはっきり知ることを、身を治め人を治める務めの始まりとしています。格物とは、あらゆる物事の道理にきわめ至ることをいい、致知とは、自分の心の知をきわめて明らかにすることです。格物の順序は、まず五常・五倫の道、身を治め家を整えるという身近なことから始めて、順を追って、しだいに国や天下を治める理にまできわめ至ります。これが格物です。このように万事万物について理をきわめれば、自分の心の知は自然に明らかになります。これが致知です。ですから格物のほかに致知の工夫はありません。これが大学の務めの始まりです。その次は誠意にあります。意とは、心が初めて動き出すところの芽です。心の本体は静かで、善も悪もまだ現れていません。それが初めて動くとき、善も悪も現れます。意が起こるとき、好むと憎むの二つがあります。

解説

朱子学でいう格物致知を、益軒は「身近なことから順に理をきわめていけば、心の知は自然に明らかになる」と平易に言い換えています。格物と致知は別の作業ではなく、同じことの両面だというのが要点です。続けて、心が動き出す最初の芽である「意」に目を向け、そこに好き嫌いが生まれると述べて次の誠意の話につなげます。まず家庭や職場の身近な事柄をよく考え抜くことが、大きな判断力の土台になるという教えとして読めます。

この章句が説くこと

格物致知誠意心学問

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