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大和俗訓 / 巻之二・為学下

一大學とは十五歲以上成人のまなぶ所、身を治め人をさむる大なる道理の學問なり。天下ひろしといへども、己と人より外なる物なし。己ををさめ人ををさむる道をまなぶは大なる學問なれば、大學といふ。明德を明かにするは、おのれを治むるなり。民をあらたにするは、人ををさむるなり。至善に止まるは、明德をあきらかにし、民をあらたにするに、皆至極の善にいたりて止るべしとなり。故に明德新民の外に、至善にとゞまる道あるにはあらず。右の三綱領は大學の大要なり。此三にいたる工夫の條目八あり。八條目は三綱領の內のこまかなる工夫なり。格物致知は、事物の理をきはめ知りて、知を開く道なり。誠意より以下は、皆力行の道なり。就中誠意、正心修身は、ともに身ををさむる道なり。齊家、治國、平天下は、人ををさむるの道なり。凡大學は理を敎ふるなり。

新字:一大学とは十五歳以上成人のまなぶ所、身を治め人をさむる大なる道理の学問なり。天下ひろしといへども、己と人より外なる物なし。己ををさめ人ををさむる道をまなぶは大なる学問なれば、大学といふ。明徳を明かにするは、おのれを治むるなり。民をあらたにするは、人ををさむるなり。至善に止まるは、明徳をあきらかにし、民をあらたにするに、皆至極の善にいたりて止るべしとなり。故に明徳新民の外に、至善にとゞまる道あるにはあらず。右の三綱領は大学の大要なり。此三にいたる工夫の条目八あり。八条目は三綱領の内のこまかなる工夫なり。格物致知は、事物の理をきはめ知りて、知を開く道なり。誠意より以下は、皆力行の道なり。就中誠意、正心修身は、ともに身ををさむる道なり。斉家、治国、平天下は、人ををさむるの道なり。凡大学は理を教ふるなり。

書き下し

一大学とは十五歳以上成人のまなぶ所、身を治め人をさむる大なる道理の学問なり。天下ひろしといへども、己と人より外なる物なし。己ををさめ人ををさむる道をまなぶは大なる学問なれば、大学といふ。明徳を明かにするは、おのれを治むるなり。民をあらたにするは、人ををさむるなり。至善に止まるは、明徳をあきらかにし、民をあらたにするに、皆至極の善にいたりて止るべしとなり。故に明徳新民の外に、至善にとどまる道あるにはあらず。右の三綱領は大学の大要なり。此三にいたる工夫の条目八あり。八条目は三綱領の内のこまかなる工夫なり。格物致知は、事物の理をきはめ知りて、知を開く道なり。誠意より以下は、皆力行の道なり。就中誠意、正心修身は、ともに身ををさむる道なり。斉家、治国、平天下は、人ををさむるの道なり。凡大学は理を教ふるなり。

現代語訳

大学とは、十五歳以上の成人が学ぶところで、身を治め人を治める大きな道理の学問です。天下は広いといっても、自分と他人のほかに何もありません。自分を治め人を治める道を学ぶのは大きな学問なので、大学といいます。明徳を明らかにするとは、自分を治めることです。民を新たにするとは、人を治めることです。至善に止まるとは、明徳を明らかにし民を新たにするうえで、どちらも最高の善に至ってそこに止まるべきだということです。ですから明徳・新民のほかに、至善に止まる道が別にあるわけではありません。この三綱領は『大学』の大要です。この三つに至る工夫の項目が八つあります。八条目は三綱領の中の細かな工夫です。格物・致知は、物事の理をきわめ知って知恵を開く道です。誠意から後はみな力行、つまり実行の道です。なかでも誠意・正心・修身は、どれも身を治める道です。斉家・治国・平天下は、人を治める道です。およそ大学は理を教えるものです。

解説

ここでは『大学』の三綱領(明徳を明らかにする・民を新たにする・至善に止まる)と八条目(格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下)が、和文で手短に整理されています。益軒はそれを「己を治める」と「人を治める」の二つにまとめ、天下には自分と他人しかないと言い切ります。自分を整えることと周りを良くすることが一続きだという見方は、リーダーや親の役割を考えるときにも、まず自分から、という筋道を示してくれます。

この章句が説くこと

大学修身明徳治国学問

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