大和俗訓 / 巻之二・為学下
惡むとはきらふなり。此時善をこのみ惡をきらふ事、眞實にしていつはりなきを、誠意といふ。たとへば善を好む事は、好色を好むが如くにし、惡をにくむことは、惡臭をきらふがごとくに眞實なるべし。是つとめ行ふ初なり。善をこのみ、惡をきらふ事、眞實ならざれば、本たゝずして萬の道行はれず。故に此後正心修身齊家治國平天下の工夫も、皆是を以て初とす。されば大學の八條目は、格物と誠意を以て要とす。格物は知のはじめなり。誠意は行のはじめなり。格物なくして萬の理をきはめざれば、智明ならずして善惡をわかちがたければ、迷ひてさとらず。夢のいまださめざるが如し。誠意なくして、善をこのみ惡をきらふ意、誠ならざれば、道を行ふべき基なくして、いまだ善人とはいひがたし。故に此二を以て、致知力行のはじめとする事むべならずや。
新字:悪むとはきらふなり。此時善をこのみ悪をきらふ事、真実にしていつはりなきを、誠意といふ。たとへば善を好む事は、好色を好むが如くにし、悪をにくむことは、悪臭をきらふがごとくに真実なるべし。是つとめ行ふ初なり。善をこのみ、悪をきらふ事、真実ならざれば、本たゝずして万の道行はれず。故に此後正心修身斉家治国平天下の工夫も、皆是を以て初とす。されば大学の八条目は、格物と誠意を以て要とす。格物は知のはじめなり。誠意は行のはじめなり。格物なくして万の理をきはめざれば、智明ならずして善悪をわかちがたければ、迷ひてさとらず。夢のいまださめざるが如し。誠意なくして、善をこのみ悪をきらふ意、誠ならざれば、道を行ふべき基なくして、いまだ善人とはいひがたし。故に此二を以て、致知力行のはじめとする事むべならずや。
書き下し
悪むとはきらふなり。此時善をこのみ悪をきらふ事、真実にしていつはりなきを、誠意といふ。たとへば善を好む事は、好色を好むが如くにし、悪をにくむことは、悪臭をきらふがごとくに真実なるべし。是つとめ行ふ初なり。善をこのみ、悪をきらふ事、真実ならざれば、本たたずして万の道行はれず。故に此後正心修身斉家治国平天下の工夫も、皆是を以て初とす。されば大学の八条目は、格物と誠意を以て要とす。格物は知のはじめなり。誠意は行のはじめなり。格物なくして万の理をきはめざれば、智明ならずして善悪をわかちがたければ、迷ひてさとらず。夢のいまださめざるが如し。誠意なくして、善をこのみ悪をきらふ意、誠ならざれば、道を行ふべき基なくして、いまだ善人とはいひがたし。故に此二を以て、致知力行のはじめとする事むべならずや。
現代語訳
憎むとは嫌うことです。このとき善を好み悪を嫌うことが、真実で偽りのないことを誠意といいます。たとえば善を好むことは、美しいものを好むようにし、悪を憎むことは、悪臭を嫌うように、心の底から真実であるべきです。これが努めて行うことの始まりです。善を好み悪を嫌うことが真実でなければ、根本が立たず、あらゆる道は行われません。ですから、この後の正心・修身・斉家・治国・平天下の工夫も、みなこれを始まりとします。そこで『大学』の八条目は、格物と誠意を要とします。格物は知の始まりです。誠意は行いの始まりです。格物がなくあらゆる理をきわめなければ、知恵が明らかでなく善悪を見分けにくいので、迷って悟りません。夢がまだ覚めていないようなものです。誠意がなく、善を好み悪を嫌う心が誠でなければ、道を行う土台がなく、まだ善人とは言いがたいのです。ですから、この二つを知ることと行うことの始まりとするのは、もっともなことではないでしょうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『大和俗訓』巻之二・為学下一大学に、格物致知を以て道理を明かに知るを、身ををさめ人ををさむる勤のはじめとす。格物とは万事万物の道理にきはめ至るを云ひ、致知とはわが心の知をきはめて明かにするなり。格物の次第は、まづ五常五倫の道、身を治め家をととのふるまぢかき事よりして、次第を以て、やうやく国天下ををさむる理にきはめ至る。是格物なり。かくのごとく万事万物につきて理をきはむれば、わが心の知おのづから明かになる。是致知なり。故に格物の外に致知の工夫なし。是大学のつとめのはじめなり。其次は誠意にあり。意とは心のはじめておこる所の苗なり。心の体はしづかにして、善悪いまだあらはれず。其初てうごく時、善も悪もあらはる。意のおこる時に、このむと悪むとの二あり。
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『大和俗訓』巻之六・躬行上一善を好み、悪をきらふことの誠なるは、大学の誠意の事にて、身を修め、道を行ふ初なり。善を好み、悪をきらはざれば、道の行はるべきやうなし。学者の最初よりつとむべきこと、是より急なるはなし。善を好むことは、たとへば好き色を好むが如く、悪をきらふ事は、悪しき臭をきらふが如くすべし。是誠に好みきらふなり。諸人のきらふ事多けれど、悪臭ほどいむべき物なし。好むこと多けれど、好色に過ぎたるものなし。是皆諸人の真実に好みきらふものなれば、善を好み、悪をきらふことも、また如此真実なるべしとなり。是誠によく人をさとすべき譬なり。もし心の内に、すでに善悪を知れども、好みきらふ事実ならずして、善を行はず、悪を去らざるは、これを自欺と云ふ。自欺とは、わが心の内、実ならざるを云ふ。善を好み、悪をきらふ事、まことならざれば、万の行みないつはりとなりて、道おこなはるべからず。たとへば草木の根なきが如く、家をつくるにもとゐ無きがごとし。おこなひの本たたず。ここを以て、道をおこなはんと思はば、先此こころざしを立つるを、はじめとすべし。
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『大和俗訓』巻之二・為学下一学問の要二あり。いまだ知らざる時は知らん事を求め、既に知れらば行ふべし。知らざれば行ひがたし。行はれざれば知らざるに同じく、無用の事となりぬ。ここを以て、学問の道は唯知と行との二にあり。又万巻の書を読んでも、道を知らず行はれざれば、読まざるに同じ。是道に志なければなり。ここを以て、大学の道、まづ格物致知して、事物の理をきはめ、わが知をひらき、さて知れる所の善をこのみ悪をきらふ心実にして、知れる所を行ふ、是誠意なり。知る事いたらざれば、万事の善悪わきまへがたし。意誠ならざれば、善をなし悪をさる事実ならずして、道行はれず。此二は大学の道の要にして、知行の工夫なり。
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『大和俗訓』巻之二・為学下一大学とは十五歳以上成人のまなぶ所、身を治め人をさむる大なる道理の学問なり。天下ひろしといへども、己と人より外なる物なし。己ををさめ人ををさむる道をまなぶは大なる学問なれば、大学といふ。明徳を明かにするは、おのれを治むるなり。民をあらたにするは、人ををさむるなり。至善に止まるは、明徳をあきらかにし、民をあらたにするに、皆至極の善にいたりて止るべしとなり。故に明徳新民の外に、至善にとどまる道あるにはあらず。右の三綱領は大学の大要なり。此三にいたる工夫の条目八あり。八条目は三綱領の内のこまかなる工夫なり。格物致知は、事物の理をきはめ知りて、知を開く道なり。誠意より以下は、皆力行の道なり。就中誠意、正心修身は、ともに身ををさむる道なり。斉家、治国、平天下は、人ををさむるの道なり。凡大学は理を教ふるなり。
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『大和俗訓』巻之二・為学下一凡人には必生れつきたる良智ありて、いかなる愚者も、善悪をすこしはわきまへ知れり。其上学問して理をきはめ、其智やうやく開けぬれば、善を善とし、悪を悪とする心いよいよ明かになりぬ。されども、善をこのみ悪をきらふに誠なければ、善行はれず、悪去らずして、生れつきたる良智のちからも、学問して知れる所も、皆無用となりぬ。此故に学者道を行はんと思はば、まづ善を好み悪をきらふに誠あるべし。故に誠意の工夫尤切なり。
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『初学訓』巻之四一善を好み、悪を嫌ふことの誠なるは、誠意のことなり。是、人の行の第一のつとめにて、行の初なり。善を好むことは、好き色の如く、悪をきらふことは、悪しき臭の如くすべし。是、善を好み悪を嫌ふこと誠あるなり。もし、善と知れども、実に好まずして行はず、悪と知れども、実に嫌はずして去らざる、之を自欺くといふ。自欺とは、善を好み悪を嫌ふこと、真実ならざるをいふ。自ら欺くことを誠めて、好悪の二に真実にして、偽なかるべし。是、第一の心法なり。
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