大和俗訓 / 巻之二・為学下
一小學の敎は小子のまなぶ所、少なる學問なり。いにしへ八歲になれば、たかき賤しき、凡天下の、人の子となり弟となれる者、師の敎をうけて學べり。これ小學なり。其をしへは、父母に孝し、兄長をうやまひ、君上につかへ、賓客に對する道、或は座敷をはゝき、飮食をそなへ、尊者の前に進み退き、應對をする禮ををしへ、又日用の禮樂射御書數の六藝のわざをも敎へ、是を以て、いとけなき時より其心をやしなひ、年長じて大學の道をまなぶ基とせり。凡小學はわざを敎ふるなり。
新字:一小学の教は小子のまなぶ所、少なる学問なり。いにしへ八歳になれば、たかき賤しき、凡天下の、人の子となり弟となれる者、師の教をうけて学べり。これ小学なり。其をしへは、父母に孝し、兄長をうやまひ、君上につかへ、賓客に対する道、或は座敷をはゝき、飲食をそなへ、尊者の前に進み退き、応対をする礼ををしへ、又日用の礼楽射御書数の六芸のわざをも教へ、是を以て、いとけなき時より其心をやしなひ、年長じて大学の道をまなぶ基とせり。凡小学はわざを教ふるなり。
書き下し
一小学の教は小子のまなぶ所、少なる学問なり。いにしへ八歳になれば、たかき賤しき、凡天下の、人の子となり弟となれる者、師の教をうけて学べり。これ小学なり。其をしへは、父母に孝し、兄長をうやまひ、君上につかへ、賓客に対する道、或は座敷をははき、飲食をそなへ、尊者の前に進み退き、応対をする礼ををしへ、又日用の礼楽射御書数の六芸のわざをも教へ、是を以て、いとけなき時より其心をやしなひ、年長じて大学の道をまなぶ基とせり。凡小学はわざを教ふるなり。
現代語訳
小学の教えとは、子どもの学ぶところで、小さな学問です。昔は八歳になると、身分の高い者も低い者も、およそ天下の人の子・人の弟である者はみな、師の教えを受けて学びました。これが小学です。その教えは、父母に孝行し、兄や年長者を敬い、主君や目上に仕え、客人に対応する道、あるいは座敷を掃き、飲食を整え、尊い人の前での進み退き、受け答えの礼を教え、また日常の礼・楽・射・御・書・数の六芸のわざも教えました。これによって幼い時からその心を養い、成長して大学の道を学ぶ土台としたのです。およそ小学はわざを教えるものです。
解説
この章句が説くこと
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