大和俗訓 / 巻之一・為学上
一心學に志す人は、日新の工夫を用ふべし。日に新にすとは、昨日のふるき惡をあらためて、今日あたらしく善にうつり、けふは昨日にまさりて新しくなるを、日に新にすといふ。如此なれば、今日は是にして、きのふは非なることを覺ゆべし。かやうに勤めて止まざれば、日々に工夫進み、月々に異にして、年々に同じからず。一日は一日の功あり、一月には三十日の功あり、一年には三百六十日の功あり、三年には千日の功ありて、德にすゝみ善にうつりゆかば、其樂極りなくして、手の舞ひ足の踏むことを知らざるべし。かくのごとく進み行かば、君子となること必期すべし。若けふは昨日にかはらず、今月は前月にことならず、ことしは去年に同じくば、日に新にする力なくして、いつまでも愚者にて世を終らんこと口をし。
新字:一心学に志す人は、日新の工夫を用ふべし。日に新にすとは、昨日のふるき悪をあらためて、今日あたらしく善にうつり、けふは昨日にまさりて新しくなるを、日に新にすといふ。如此なれば、今日は是にして、きのふは非なることを覚ゆべし。かやうに勤めて止まざれば、日々に工夫進み、月々に異にして、年々に同じからず。一日は一日の功あり、一月には三十日の功あり、一年には三百六十日の功あり、三年には千日の功ありて、徳にすゝみ善にうつりゆかば、其楽極りなくして、手の舞ひ足の踏むことを知らざるべし。かくのごとく進み行かば、君子となること必期すべし。若けふは昨日にかはらず、今月は前月にことならず、ことしは去年に同じくば、日に新にする力なくして、いつまでも愚者にて世を終らんこと口をし。
書き下し
一心学に志す人は、日新の工夫を用ふべし。日に新にすとは、昨日のふるき悪をあらためて、今日あたらしく善にうつり、けふは昨日にまさりて新しくなるを、日に新にすといふ。如此なれば、今日は是にして、きのふは非なることを覚ゆべし。かやうに勤めて止まざれば、日々に工夫進み、月々に異にして、年々に同じからず。一日は一日の功あり、一月には三十日の功あり、一年には三百六十日の功あり、三年には千日の功ありて、徳にすすみ善にうつりゆかば、其楽極りなくして、手の舞ひ足の踏むことを知らざるべし。かくのごとく進み行かば、君子となること必期すべし。若けふは昨日にかはらず、今月は前月にことならず、ことしは去年に同じくば、日に新にする力なくして、いつまでも愚者にて世を終らんこと口をし。
現代語訳
一、心の学問に志す人は、日に新たにする工夫を用いるべきです。日に新たにするとは、昨日の古い悪を改めて、今日新しく善に移り、今日は昨日にまさって新しくなることを、日に新たにするといいます。このようであれば、今日が正しくて昨日が誤りであったことに気づくはずです。このように努めてやまなければ、日々に工夫が進み、月々に変わって、年々に同じではありません。一日には一日の功があり、一月には三十日の功があり、一年には三百六十日の功があり、三年には千日の功があって、徳に進み善に移っていけば、その楽しみは限りなく、手が舞い足が踏むのも知らないほどになるでしょう。このように進んでいけば、君子となることは必ず期待できます。もし今日が昨日と変わらず、今月が前月と変わらず、今年が去年と同じなら、日に新たにする力がなく、いつまでも愚か者のままで一生を終えることになり、残念なことです。
解説
この章句が説くこと
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