大和俗訓 / 巻之一・為学上
一知行の二の工夫を、こまかにわかてば五あり。中庸曰、博く學び、審かに問ひ、愼んで思ひ、明かに辨へ、篤く行ふ。是道を知りて行ふの工夫にして、學問の法なり。一博く學ぶの道は、見ると聞くとの二をつとむ。聖賢の書をよみ、人に道をきゝて、古今を考へて、道理を求むるなり。人倫の道は、載せて聖賢の書にあり。よく讀まん人は、白日に黑白をわかつが如くなるべし。天下の道理はきはまりなし。其道理を知らざれば、行ふべきすべを知らで、あやまり多し。道理はわが一心にそなはり、其用は萬物の上にあるなれば、まづわが一心の道理をきはめ、次には萬事につきて、ひろく道理をつとめて、わが心中に自得すべし。是ひろく學ぶなり。博く學ぶの道多けれど、書を讀むほど益あるはなし。古人も、人の知惠をますは書に如くは無しといへり。されど文字をのみ好みて義理を求めざるは、博く學ぶにはあらず。
新字:一知行の二の工夫を、こまかにわかてば五あり。中庸曰、博く学び、審かに問ひ、慎んで思ひ、明かに弁へ、篤く行ふ。是道を知りて行ふの工夫にして、学問の法なり。一博く学ぶの道は、見ると聞くとの二をつとむ。聖賢の書をよみ、人に道をきゝて、古今を考へて、道理を求むるなり。人倫の道は、載せて聖賢の書にあり。よく読まん人は、白日に黒白をわかつが如くなるべし。天下の道理はきはまりなし。其道理を知らざれば、行ふべきすべを知らで、あやまり多し。道理はわが一心にそなはり、其用は万物の上にあるなれば、まづわが一心の道理をきはめ、次には万事につきて、ひろく道理をつとめて、わが心中に自得すべし。是ひろく学ぶなり。博く学ぶの道多けれど、書を読むほど益あるはなし。古人も、人の知恵をますは書に如くは無しといへり。されど文字をのみ好みて義理を求めざるは、博く学ぶにはあらず。
書き下し
一知行の二の工夫を、こまかにわかてば五あり。中庸曰、博く学び、審かに問ひ、慎んで思ひ、明かに弁へ、篤く行ふ。是道を知りて行ふの工夫にして、学問の法なり。一博く学ぶの道は、見ると聞くとの二をつとむ。聖賢の書をよみ、人に道をききて、古今を考へて、道理を求むるなり。人倫の道は、載せて聖賢の書にあり。よく読まん人は、白日に黒白をわかつが如くなるべし。天下の道理はきはまりなし。其道理を知らざれば、行ふべきすべを知らで、あやまり多し。道理はわが一心にそなはり、其用は万物の上にあるなれば、まづわが一心の道理をきはめ、次には万事につきて、ひろく道理をつとめて、わが心中に自得すべし。是ひろく学ぶなり。博く学ぶの道多けれど、書を読むほど益あるはなし。古人も、人の知恵をますは書に如くは無しといへり。されど文字をのみ好みて義理を求めざるは、博く学ぶにはあらず。
現代語訳
一、知と行の二つの工夫を細かく分ければ五つあります。『中庸』に「博く学び、審らかに問い、慎んで思い、明らかに弁え、篤く行う」とあります。これが道を知って行う工夫であり、学問の方法です。一、博く学ぶ道は、見ることと聞くことの二つに努めます。聖賢の書を読み、人に道を聞き、古今を考えて道理を求めるのです。人倫の道は聖賢の書に載っています。よく読む人は、真昼に白黒を見分けるようになるでしょう。天下の道理は極まりがありません。その道理を知らなければ、行う方法を知らずに誤りが多いのです。道理は自分の一つの心に備わり、そのはたらきは万物の上にあるので、まず自分の心の道理を極め、次には万事について広く道理を求めて、自分の心の中に自ら得るべきです。これが博く学ぶことです。博く学ぶ道は多いですが、書を読むほど益のあるものはありません。古人も「人の知恵を増すには書に及ぶものはない」と言いました。けれども文字ばかりを好んで義理を求めないのは、博く学ぶことではありません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷上童子曰く、甚だしいかな学問の大なるや。願はくは其の詳を聞かんと。曰く、宋明の儒先皆性を尽くすを以て極則と為して、学問の功の益大なることを知らず。殊に知らず、己の性は限り有りて、天下の道は窮まり無きことを。限り有るの性を以て、窮まり無きの道を尽くさんと欲す。則ち学問の功に非ざれば、得べからざるなり。此れ孔門の専ら教を貴ぶ所以なり。中庸に曰く、唯だ天下の至誠のみ、能く其の性を尽くすと為す。能く其の性を尽くせば、則ち能く人の性を尽くす。能く人の性を尽くせば、則ち能く物の性を尽くす。能く物の性を尽くせば、則ち以て天地の化育を賛くべし。以て天地の化育を賛くべければ、則ち以て天地と参なるべしと。所謂能く其の性を尽くすとは、吾が性の分内に就きて言ふ。其の人物の性を尽くして、天地の化育を賛くるに至りては、則ち亦た我が性を尽くすの推しと雖も、豈に徒らに我が性を尽くすのみならんや。夫れ人の我に与ける、体を異にし気を殊にして、其の疾痛病癢、皆相関らず。況んや人の物に与ける、類を異にし形を殊にす、何ぞ相干渉せん。財成輔相して天地の道に、万物をして各其の性を遂げしむと謂ふは、則ち可なり。之を我が性を尽くすと謂ひて、可ならんや。然らば則ち唯だ我が性を尽くすのみにして、学問の功に由るに非ずんば、得べからざること明らかなり。
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『酔古堂剣掃』集法・之を合すれば雙美晉人の清談、宋人の理學、晉人を以て俗を遺れ、宋人を以て躬を禔む。之を合すれば雙美、之を分かてば兩傷なり。
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『君子訓』巻之上一真西山曰、人の君たるもの、大学を知らずんばあるべからず。人の臣たるもの、大学を知らずんばあるべからずと言へり。君も臣も、身を修め国家天下を治むる道、大学の書にそなはれり。是を読みて受用せずんばあるべからず。又中庸の九経に、身を修め人を治むる道備れり、考ふべし。此二書を能く読みて、受用し行はば、外に求めずとも、其要は此うちにあるべし。
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『酔古堂剣掃』集法・枯寂も亦た心を槁らすの地紛擾は固より志を溺らすの場なるも、枯寂も亦た心を槁らすの地なり。故に學者は當に心を玄默に棲ませ、以て吾が真體を寧んずべく、亦た當に志を恬愉に適はせ、以て吾が圓機を養ふべし。
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『童子問』卷下藉令堯舜に非ずとも、若し能く中庸の極に造りて、以て万世に師表たるに足る者有らば、夫子も亦必ず之を祖述せん。何ぞ必ずしも堯舜のみならんや。所謂文武を憲章する者も、亦是れなり。憲章とは、顕らかに之を表章するなり。亦祖述の謂ひなり。夫れ其の意に非ざれば、則ち之を祖述せず。其の意に非ざれば、則ち亦之を憲章せず。猶身堂上に在りて、堂下の人の直なる者を指して之を示すがごとし。故に曰く、其の之を祖述する者は、是れ自ら之を祖述するなり。其の之を憲章する者は、是れ自ら之を憲章するなり、と。其の伏犧・神農・黄帝を取らず、又少昊・顓頊・高辛を列せずして、独り堯舜を祖述するは、是れ夫子の独りする所にして、堯舜と雖も亦及ばざる所なり。故に堯舜を祖述するは、是れ其の堯舜より賢れる所以なり。子曰く、述べて作らず、と。又曰く、信じて古を好む、と。夫れ夫子の大聖を以てして、卒に自ら我より古を作らず。是れ孔子の本心にして、学問の極則なり。故に論語の子罕・堯曰の二篇、群聖を歴挙して、皆堯舜に始まりて文武に終はる。許行神農の言を為せば、則ち孟子も亦堯舜の天下を憂ふるを以て折衷す。中庸の夫子の徳を賛して、堯舜を祖述し文武を憲章すと曰ふ所以、其の意見るべし。而るに宋の諸大儒、或いは天皇・地皇・人皇を以て三皇と為し、庖犧・神農・黄帝・堯舜を以て五帝と為し、或いは別に伏犧・神農・黄帝・堯舜を以て列と為す。皆夫子の堯舜を祖述するの意を知らざるが故なり。
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『囲炉夜話』第二百一則・渾金璞玉の如し才有らば必ず韜藏す、渾金璞玉の如く、闇然として日に章かなり。 學を為すに間斷無し、流水行雲の如く、日に進みて已まざるなり。
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