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大和俗訓 / 巻之一・為学上

一學問の法は知行の二を要とす。此二をつとむるを、致知力行とす。致知とは知ることをきはむるなり。力行とは行ふことをつとむるなり。道を知ること明ならざれば行はれず。たとへば目なきものゝ、足すくやかなれど、行くべき道を知らで行きがたきが如し。行ふ事するどならざれば、知りても用なし。たとへば目明なりといへども、足たゝざれば行く事かなはざるが如し。知と行とは、目に見て、足にて行くがごとし。目くらければ、行くべき道見えず。足立たざれば、行くことかなはず、目足ともにそなはらざれば、道を行きがたきが如し。知を先とし、行を後とす。萬のこと、先知らざれば行ひがたし。故に前後をいへば、知るを先とす。知るは行はんため也。

新字:一学問の法は知行の二を要とす。此二をつとむるを、致知力行とす。致知とは知ることをきはむるなり。力行とは行ふことをつとむるなり。道を知ること明ならざれば行はれず。たとへば目なきものゝ、足すくやかなれど、行くべき道を知らで行きがたきが如し。行ふ事するどならざれば、知りても用なし。たとへば目明なりといへども、足たゝざれば行く事かなはざるが如し。知と行とは、目に見て、足にて行くがごとし。目くらければ、行くべき道見えず。足立たざれば、行くことかなはず、目足ともにそなはらざれば、道を行きがたきが如し。知を先とし、行を後とす。万のこと、先知らざれば行ひがたし。故に前後をいへば、知るを先とす。知るは行はんため也。

書き下し

一学問の法は知行の二を要とす。此二をつとむるを、致知力行とす。致知とは知ることをきはむるなり。力行とは行ふことをつとむるなり。道を知ること明ならざれば行はれず。たとへば目なきものの、足すくやかなれど、行くべき道を知らで行きがたきが如し。行ふ事するどならざれば、知りても用なし。たとへば目明なりといへども、足たたざれば行く事かなはざるが如し。知と行とは、目に見て、足にて行くがごとし。目くらければ、行くべき道見えず。足立たざれば、行くことかなはず、目足ともにそなはらざれば、道を行きがたきが如し。知を先とし、行を後とす。万のこと、先知らざれば行ひがたし。故に前後をいへば、知るを先とす。知るは行はんため也。

現代語訳

一、学問の方法は、知と行の二つを要とします。この二つに努めることを致知・力行といいます。致知とは知ることを極めることです。力行とは行うことに努めることです。道を知ることが明らかでなければ行えません。たとえば目の見えない者が、足は丈夫でも行くべき道を知らないので行きがたいようなものです。行うことが鋭くなければ、知っていても役に立ちません。たとえば目は見えても、足が立たなければ行くことができないようなものです。知と行は、目で見て足で行くようなものです。目が暗ければ行くべき道が見えません。足が立たなければ行くことができず、目と足の両方がそろわなければ道を行きがたいようなものです。知を先とし、行を後とします。すべてのことは、まず知らなければ行いがたいのです。ですから前後を言えば知ることを先とします。知るのは行うためです。

解説

学問の方法を「知」と「行」の二つにまとめ、目と足のたとえで説明する段です。目が見えても足が立たなければ進めず、足が丈夫でも目が見えなければ道がわからない。順序としては知ることが先ですが、それは行うためだと益軒は念を押します。致知・力行は朱子学の基本の枠組みです。計画ばかりで動かない人、動くばかりで考えない人、どちらも目か足のどちらかが欠けています。仕事の進め方を振り返るときに使えるわかりやすいたとえです。

この章句が説くこと

知行致知力行実践学問

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