大和俗訓 / 巻之一・為学上
一人皆良知あり、をしへざれども、幼よりおやを愛し、少し長じては兄をうやまふ。人皆仁心あり、孺子の井におち入るを見てはあはれむ。人皆義理あり、節にあたつては、おろかなる下部も命ををしまず。乞食にも食をけちらして與ふれば喰はず。是人の性の善なる證なり。聖人の敎は、天下の人の生れつかざる事を、知らしめんとにはあらず。生れつかざる事は、をしへてもなしがたし。其人にもとより生れつきたる善心あるを本として、導きひらきて是をおしひろめさせんとなり。天下の人其性皆善なり。其の善なるに本づきて、その生れつきたる善を行へと、みちびき給へるなり。故に其敎行はれやすし。たとへば山人が斧の柄をきるに、我が手に持ちたる斧の柄を以て、新しく作らんとする斧の柄になるべき木の枝に、おしならべ較ぶれば、大小長短少しもたがはず。
新字:一人皆良知あり、をしへざれども、幼よりおやを愛し、少し長じては兄をうやまふ。人皆仁心あり、孺子の井におち入るを見てはあはれむ。人皆義理あり、節にあたつては、おろかなる下部も命ををしまず。乞食にも食をけちらして与ふれば喰はず。是人の性の善なる証なり。聖人の教は、天下の人の生れつかざる事を、知らしめんとにはあらず。生れつかざる事は、をしへてもなしがたし。其人にもとより生れつきたる善心あるを本として、導きひらきて是をおしひろめさせんとなり。天下の人其性皆善なり。其の善なるに本づきて、その生れつきたる善を行へと、みちびき給へるなり。故に其教行はれやすし。たとへば山人が斧の柄をきるに、我が手に持ちたる斧の柄を以て、新しく作らんとする斧の柄になるべき木の枝に、おしならべ較ぶれば、大小長短少しもたがはず。
書き下し
一人皆良知あり、をしへざれども、幼よりおやを愛し、少し長じては兄をうやまふ。人皆仁心あり、孺子の井におち入るを見てはあはれむ。人皆義理あり、節にあたつては、おろかなる下部も命ををしまず。乞食にも食をけちらして与ふれば喰はず。是人の性の善なる証なり。聖人の教は、天下の人の生れつかざる事を、知らしめんとにはあらず。生れつかざる事は、をしへてもなしがたし。其人にもとより生れつきたる善心あるを本として、導きひらきて是をおしひろめさせんとなり。天下の人其性皆善なり。其の善なるに本づきて、その生れつきたる善を行へと、みちびき給へるなり。故に其教行はれやすし。たとへば山人が斧の柄をきるに、我が手に持ちたる斧の柄を以て、新しく作らんとする斧の柄になるべき木の枝に、おしならべ較ぶれば、大小長短少しもたがはず。
現代語訳
一、人にはみな良知があります。教えなくても幼いときから親を愛し、少し大きくなると兄を敬います。人にはみな仁の心があり、幼子が井戸に落ちそうになるのを見れば哀れみます。人にはみな義理があり、いざというときには愚かな下僕も命を惜しみません。乞食でさえ、食べ物を蹴散らして与えれば食べません。これが人の性が善であることの証しです。聖人の教えは、天下の人が生まれつき持っていないことを知らせようとするものではありません。生まれつき持っていないことは、教えてもできるものではありません。その人にもともと生まれつき備わっている善い心を本として、導き開いてこれを押し広めさせようとするのです。天下の人はその性がみな善です。その善に基づいて、生まれつき持っている善を行えと導かれたのです。ですからその教えは行われやすいのです。たとえば山で働く人が斧の柄を切るとき、自分の手に持っている斧の柄を、新しく作ろうとする斧の柄になる木の枝に押し並べて比べれば、大小長短が少しも違いません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・雍也篇宰我問いて曰く、「仁者は之に告げて『井に仁有り』と曰うと雖も、其れ之に従わんか。」子曰く、「何為れぞ其れ然らんや。君子は逝かしむ可きも、陥る可からず。欺く可きも、罔う可からず。」
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論語・八佾篇子曰く、人にして仁ならずんば、礼を如(いかん)せん;人にして仁ならずんば、楽を如せん。
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論語・憲問篇「克・伐・怨・欲、行われずんば、以て仁と為す可きか。」子曰く、「以て難しと為す可し。仁は則ち吾知らざるなり。」
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論語・里仁篇子曰わく、不仁者は久しく約に処るべからず、長く楽に処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。
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論語・里仁篇子曰わく、ただ仁者のみよく人を好み、よく人を悪む。
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論語・微子篇微子これを去り、箕子これに為に奴となり、比干諫めて死す。孔子曰わく、殷に三仁有り。
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