導師導古典を学びたいすべての人に

大和俗訓 / 巻之一・為学上

外物に心をうばはるべからず。物を翫べば志をうしなふと、尙書にもいへり。言ふ意は、耳目口體にこのむ所の外欲に耽り、外物をこのみ、或は無益の雜藝を一向にすきこのみて、心をかたぶくるの類は、皆是物をもてあそぶなり。かくのごとく外物に心をうつせば、道を學び君子となる志をうしなふ。萬の外物の翫び、このみ、皆志をそこなふものなり。程子曰專一ならざれば直に遂ぐることあたはず。言ふ意は、すぢになさざれば、行ひとぐる事成りがたし。專一とは、たとへば猫の鼠をねらふが如く、雞の卵をあたゝむるが如く、他念なかるべし。心あなたこなたに分るれば、學問道義の志はおとろへすたる。文藝武藝は、誠に士たる者の習ふべきことなれば、つとめ學ぶべし。

新字:外物に心をうばはるべからず。物を翫べば志をうしなふと、尚書にもいへり。言ふ意は、耳目口体にこのむ所の外欲に耽り、外物をこのみ、或は無益の雑芸を一向にすきこのみて、心をかたぶくるの類は、皆是物をもてあそぶなり。かくのごとく外物に心をうつせば、道を学び君子となる志をうしなふ。万の外物の翫び、このみ、皆志をそこなふものなり。程子曰専一ならざれば直に遂ぐることあたはず。言ふ意は、すぢになさざれば、行ひとぐる事成りがたし。専一とは、たとへば猫の鼠をねらふが如く、鶏の卵をあたゝむるが如く、他念なかるべし。心あなたこなたに分るれば、学問道義の志はおとろへすたる。文芸武芸は、誠に士たる者の習ふべきことなれば、つとめ学ぶべし。

書き下し

外物に心をうばはるべからず。物を翫べば志をうしなふと、尚書にもいへり。言ふ意は、耳目口体にこのむ所の外欲に耽り、外物をこのみ、或は無益の雑芸を一向にすきこのみて、心をかたぶくるの類は、皆是物をもてあそぶなり。かくのごとく外物に心をうつせば、道を学び君子となる志をうしなふ。万の外物の翫び、このみ、皆志をそこなふものなり。程子曰専一ならざれば直に遂ぐることあたはず。言ふ意は、すぢになさざれば、行ひとぐる事成りがたし。専一とは、たとへば猫の鼠をねらふが如く、鶏の卵をあたたむるが如く、他念なかるべし。心あなたこなたに分るれば、学問道義の志はおとろへすたる。文芸武芸は、誠に士たる者の習ふべきことなれば、つとめ学ぶべし。

現代語訳

外の物事に心を奪われてはなりません。「物をもてあそべば志を失う」と『書経』にもあります。その意味は、耳・目・口・体が好む外の欲にふけり、外の物を好み、あるいは無益な雑芸をひたすら好んで心を傾けるたぐいは、みな物をもてあそぶことです。このように外の物に心を移せば、道を学び君子となる志を失います。すべての外の物の遊びや好みは、みな志を損なうものです。程子は「専一でなければ真っすぐに成し遂げることはできない」と言いました。その意味は、一筋にしなければやり遂げることは難しいということです。専一とは、たとえば猫が鼠をねらうように、鶏が卵を温めるように、ほかの思いがあってはならないということです。心があちこちに分かれれば、学問と道義の志は衰えすたれます。文芸や武芸は、まことに武士たる者が習うべきことなので、努めて学ぶべきです。

解説

「物を玩べば志を喪う」は『書経』旅獒の言葉です。益軒は耳目口体の欲や無益な雑芸に心を傾けることを戒め、程子の「専一」を猫が鼠をねらい鶏が卵を温める姿にたとえます。現代で言えば、スマートフォンの通知や次々に流れてくる情報がこの「外物」にあたるでしょう。一つのことに集中する時間を意識してつくらないと、志はいつの間にか薄れてしまいます。集中の大切さを具体的な姿で思い描かせてくれる一節です。

この章句が説くこと

志専一集中欲書経

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る