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大和俗訓 / 自序

世の中の夫婦の愚なるもあづかりしらしめ、兒女のいとけなくて菽麥をわきまへざるをもさとさむ事をこひねがふのみ。わが材器もとより拙なければ、身にも應ぜぬ道學を以て名を立てん事を好まず。此故に、此書にかぎらず、いにし年より、かゝる鄙俚なるからやまとの小文字を多くつくり、瑣細なる事をも、何くれとしるせし事、世の道學の名を立つる君子のわらひ草とならんことも思ひかけぬれど、わが志したるすぢもあれば、世のそしりをもあながちにおそるべきにあらず。つらつら思ふに、わが輩天地のきはまりなき御めぐみをかうむりて、人と生れたる幸は、おろかなる身にては、其大なる德の萬一を、幾世をふともむくい奉らん事かたかるべし。せめてかゝるあさはかなる事をつくりて、もしくは世の中の無學なる人、小兒の輩、しづのを、しづのめをさとして、民用の小補にもなりなば、わが此世に生れ、食にあき、衣をあたゝかにき、居り所をやすくして、天地のたからを多くつひやせる素餐の罪を、すこしまぬかるよすがともなりぬべし。

新字:世の中の夫婦の愚なるもあづかりしらしめ、児女のいとけなくて菽麦をわきまへざるをもさとさむ事をこひねがふのみ。わが材器もとより拙なければ、身にも応ぜぬ道学を以て名を立てん事を好まず。此故に、此書にかぎらず、いにし年より、かゝる鄙俚なるからやまとの小文字を多くつくり、瑣細なる事をも、何くれとしるせし事、世の道学の名を立つる君子のわらひ草とならんことも思ひかけぬれど、わが志したるすぢもあれば、世のそしりをもあながちにおそるべきにあらず。つらつら思ふに、わが輩天地のきはまりなき御めぐみをかうむりて、人と生れたる幸は、おろかなる身にては、其大なる徳の万一を、幾世をふともむくい奉らん事かたかるべし。せめてかゝるあさはかなる事をつくりて、もしくは世の中の無学なる人、小児の輩、しづのを、しづのめをさとして、民用の小補にもなりなば、わが此世に生れ、食にあき、衣をあたゝかにき、居り所をやすくして、天地のたからを多くつひやせる素餐の罪を、すこしまぬかるよすがともなりぬべし。

書き下し

世の中の夫婦の愚なるもあづかりしらしめ、児女のいとけなくて菽麦をわきまへざるをもさとさむ事をこひねがふのみ。わが材器もとより拙なければ、身にも応ぜぬ道学を以て名を立てん事を好まず。此故に、此書にかぎらず、いにし年より、かかる鄙俚なるからやまとの小文字を多くつくり、瑣細なる事をも、何くれとしるせし事、世の道学の名を立つる君子のわらひ草とならんことも思ひかけぬれど、わが志したるすぢもあれば、世のそしりをもあながちにおそるべきにあらず。つらつら思ふに、わが輩天地のきはまりなき御めぐみをかうむりて、人と生れたる幸は、おろかなる身にては、其大なる徳の万一を、幾世をふともむくい奉らん事かたかるべし。せめてかかるあさはかなる事をつくりて、もしくは世の中の無学なる人、小児の輩、しづのを、しづのめをさとして、民用の小補にもなりなば、わが此世に生れ、食にあき、衣をあたたかにき、居り所をやすくして、天地のたからを多くつひやせる素餐の罪を、すこしまぬかるよすがともなりぬべし。

現代語訳

世の中の愚かな夫婦にも関わり知らせ、幼くて豆と麦の区別もつかない子どもたちをも諭したいと願うばかりです。私はもともと才能も器量も拙いので、身の丈に合わない道学によって名を立てることを好みません。そのためこの書に限らず、以前から、このような卑近な和漢の小さな書物を多く作り、細かなことまであれこれと書き記してきました。世の道学で名を立てている君子たちの笑いぐさになることも覚悟していますが、自分の志した筋道もあるので、世の非難をむやみに恐れるべきではありません。よくよく考えると、私どもが天地のこの上ない恵みを受けて人と生まれた幸いは、愚かな身では、その大きな徳の万分の一さえも、幾世を経ても報い申し上げることは難しいでしょう。せめてこのような浅はかなものを作って、あるいは世の中の学問のない人、子どもたち、身分の低い男女を諭して、民の暮らしのささやかな助けにでもなるなら、私がこの世に生まれ、食べ飽き、衣服を暖かに着て、住まいを安らかにして、天地の宝を多く費やしてきた、何もせず禄を食む罪を、少しでも免れるよすがともなるでしょう。

解説

益軒がなぜ平易な教訓書を書き続けたのか、その動機が語られます。道学者として名を上げることは望まず、学者仲間に笑われても構わない。人と生まれた天地の恩に報いるため、学問のない人や子どもの役に立つものを残したいというのです。「素餐」は『詩経』に由来する語で、働かずに食べることを指します。自分が受けたものに見合う働きをしたいという思いは、年を重ねた人が次の世代に何を手渡すかを考えるときの手がかりになります。

この章句が説くこと

恩天地志教育謙遜

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