山鹿語類 / 士道・惣論禮用之威儀
師の曰。凡そ禮の用は威儀のかゝる所也。禮は一事一物の動靜にかゝらずと云ことあらず。故に身躰より器物に至るまで、各其法則を明にするは、君子大丈夫の所貴也。其間大禮を云ときは、其制に冠婚喪祭の禮あり。賓客軍旅相見嘉禮あり。冠禮と云は、人既に成人して加冠の節に及ぶの時其禮を行のことなり。儀禮に士冠禮あり。本朝亦重之。其制江次第等の記に詳也。武將歷代是を行なはる。近くは衣冠の制名すたれるを以て、士庶人是を不糾明して、冠禮の儀こゝにすたり、成人の禮不明也。禮曰、男子十五至二十。皆可冠。必父母無期以上喪。始可行之といへり。其制甚詳なりといへども、當時不用ことなれば略之。司馬温公曰。古者二十而冠。皆所以貴成人禮。葢將責爲人子爲人弟爲人臣爲人少者之行於其人。故其禮不可以不重也。近世以來人情輕薄。過十歲而總角者鮮矣。彼責以四者之行。豈知之哉。往々自幼至長。愚駭若一。由不知成人之道故也。今雖不能遽改。且自十五。俟其能通孝經論語粗知禮義。然後冠之。其亦可也といへり。
新字:師の曰。凡そ礼の用は威儀のかゝる所也。礼は一事一物の動静にかゝらずと云ことあらず。故に身体より器物に至るまで、各其法則を明にするは、君子大丈夫の所貴也。其間大礼を云ときは、其制に冠婚喪祭の礼あり。賓客軍旅相見嘉礼あり。冠礼と云は、人既に成人して加冠の節に及ぶの時其礼を行のことなり。儀礼に士冠礼あり。本朝亦重之。其制江次第等の記に詳也。武将歴代是を行なはる。近くは衣冠の制名すたれるを以て、士庶人是を不糾明して、冠礼の儀こゝにすたり、成人の礼不明也。礼曰、男子十五至二十。皆可冠。必父母無期以上喪。始可行之といへり。其制甚詳なりといへども、当時不用ことなれば略之。司馬温公曰。古者二十而冠。皆所以貴成人礼。葢将責為人子為人弟為人臣為人少者之行於其人。故其礼不可以不重也。近世以来人情軽薄。過十歳而総角者鮮矣。彼責以四者之行。豈知之哉。往々自幼至長。愚駭若一。由不知成人之道故也。今雖不能遽改。且自十五。俟其能通孝経論語粗知礼義。然後冠之。其亦可也といへり。
書き下し
師の曰。凡そ礼の用は威儀のかゝる所也。礼は一事一物の動静にかゝらずと云ことあらず。故に身体より器物に至るまで、各其法則を明にするは、君子大丈夫の所貴也。其間大礼を云ときは、其制に冠婚喪祭の礼あり。賓客軍旅相見嘉礼あり。冠礼と云は、人既に成人して加冠の節に及ぶの時其礼を行のことなり。儀礼に士冠礼あり。本朝亦重之。其制江次第等の記に詳也。武将歴代是を行なはる。近くは衣冠の制名すたれるを以て、士庶人是を不糾明して、冠礼の儀こゝにすたり、成人の礼不明也。礼曰、男子十五至二十。皆可冠。必父母無期以上喪。始可行之といへり。其制甚詳なりといへども、当時不用ことなれば略之。司馬温公曰。古者二十而冠。皆所以貴成人礼。葢将責為人子為人弟為人臣為人少者之行於其人。故其礼不可以不重也。近世以来人情軽薄。過十歳而総角者鮮矣。彼責以四者之行。豈知之哉。往々自幼至長。愚駭若一。由不知成人之道故也。今雖不能遽改。且自十五。俟其能通孝経論語粗知礼義。然後冠之。其亦可也といへり。
現代語訳
師は言われた。およそ礼の用は、威儀のかかるところである。礼は一つの事、一つの物の動静にかからないことはない。だから身体から器物に至るまで、それぞれその法則を明らかにすることは、君子・大丈夫の尊ぶところである。そのうち大きな礼をいえば、その制に冠・婚・喪・祭の礼があり、賓客・軍旅・相見・嘉礼がある。冠礼とは、人が成人して冠を加える時にその礼を行うことである。『儀礼』に士冠礼がある。我が国もまたこれを重んじ、その制は『江家次第』などの記に詳しい。歴代の武将もこれを行ってきた。近くは衣冠の制が廃れたので、士や庶人はこれを明らかにせず、冠礼の儀はここに廃れて、成人の礼がはっきりしない。礼の書に「男子は十五歳から二十歳まで、みな冠してよい。必ず父母に期(一年)以上の喪がないときに、初めてこれを行うべきである」とある。その制は非常に詳しいが、今は用いないことなので省く。司馬温公(宋の司馬光)は言った。「古は二十歳で冠した。みな成人の礼を貴ぶゆえんである。思うに、人の子・人の弟・人の臣・年少者としての行いをその人に求めようとするのである。だからその礼は重んじないわけにはいかない。近世以来、人情は軽薄になり、十歳を過ぎてなお総角(子どもの髪型)のままの者は少ない。それに四つの行いを求めても、どうして分かろうか。しばしば幼い時から成長するまで愚かさが一つのままである。成人の道を知らないからである。今すぐには改められないとしても、ひとまず十五歳から、『孝経』『論語』に通じ、ほぼ礼義を知るのを待って、そのうえで冠させる。それもまたよいであろう」と。
解説
この章句が説くこと
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論語・八佾篇子、太廟に入り、事毎に問う。或曰く、『誰か鄒人の子を礼を知ると謂うや、太廟に入りて事毎に問う。』子これを聞きて曰く、『是れ礼なり。』
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論語・八佾篇子曰く、『夏の礼、吾能く之を言う。杞は徵すに足らず。殷の礼、吾能く之を言う。宋は徵すに足らず。文献足らざる故なり。足らば、則ち吾能く之を徵せん。』
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論語・八佾篇林放礼の本を問う。子曰く、「大なるかな問いや。礼は其の奢らんよりは、寧ろ倹せよ。喪は其の易めんよりは、寧ろ戚めよ。」
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