山鹿語類 / 士道・嚴居宅之制
次に戒非常之變といへり。云心は唯便用を思て、堅固の用を不知時は、文にして武を忘れ、陽にして陰をすつる也。故に門戶には關鑰のとざしを設け、番の兵を置、非常の變を戒しむるの器用をたくはへ、たいまつ挑灯をかまへて夜の守りを堅くし、人の可來寄付往來の廊には、番兵詰番して短兵長兵をまうけ、內外より變あらんを防ぐことを利す。凡そ人の可出の口、人の往來の道、人の相會する處、皆以て番人を置て變を守らしむべし。是人變を防ぐの戒しめ也。故に居宅の制、此變を心得て、內外の防を專とす。さるによつて門外に辻番所を立て外の防をなし、門戶の左右に番所を立、往來の地皆番屋を輕ふし所々に小口をいたし出入をさへぎり、家宅の中には戶障子を立、其開闔の音を高からしめ、番人の居所は四方をとり拂て、外をうかゞふに利あらしむ。爰において其制全きが故に、人其番所にあれば、自から外に非常のものなく、盜賊自然に來らざるべし。
新字:次に戒非常之変といへり。云心は唯便用を思て、堅固の用を不知時は、文にして武を忘れ、陽にして陰をすつる也。故に門戸には関鑰のとざしを設け、番の兵を置、非常の変を戒しむるの器用をたくはへ、たいまつ挑灯をかまへて夜の守りを堅くし、人の可来寄付往来の廊には、番兵詰番して短兵長兵をまうけ、内外より変あらんを防ぐことを利す。凡そ人の可出の口、人の往来の道、人の相会する処、皆以て番人を置て変を守らしむべし。是人変を防ぐの戒しめ也。故に居宅の制、此変を心得て、内外の防を専とす。さるによつて門外に辻番所を立て外の防をなし、門戸の左右に番所を立、往来の地皆番屋を軽ふし所々に小口をいたし出入をさへぎり、家宅の中には戸障子を立、其開闔の音を高からしめ、番人の居所は四方をとり払て、外をうかゞふに利あらしむ。爰において其制全きが故に、人其番所にあれば、自から外に非常のものなく、盗賊自然に来らざるべし。
書き下し
次に戒非常之変といへり。云心は唯便用を思て、堅固の用を不知時は、文にして武を忘れ、陽にして陰をすつる也。故に門戸には関鑰のとざしを設け、番の兵を置、非常の変を戒しむるの器用をたくはへ、たいまつ挑灯をかまへて夜の守りを堅くし、人の可来寄付往来の廊には、番兵詰番して短兵長兵をまうけ、内外より変あらんを防ぐことを利す。凡そ人の可出の口、人の往来の道、人の相会する処、皆以て番人を置て変を守らしむべし。是人変を防ぐの戒しめ也。故に居宅の制、此変を心得て、内外の防を専とす。さるによつて門外に辻番所を立て外の防をなし、門戸の左右に番所を立、往来の地皆番屋を軽ふし所々に小口をいたし出入をさへぎり、家宅の中には戸障子を立、其開闔の音を高からしめ、番人の居所は四方をとり払て、外をうかゞふに利あらしむ。爰において其制全きが故に、人其番所にあれば、自から外に非常のものなく、盗賊自然に来らざるべし。
現代語訳
次に「非常の変を戒める」と言われる。その意味は、ただ便利さだけを思って堅固さの備えを知らないなら、文に偏って武を忘れ、陽に偏って陰を捨てることになるということである。だから門戸には錠前の締まりを設け、番の兵を置き、非常の変を戒める道具を蓄え、松明や提灯を用意して夜の守りを固くし、人の寄り付く場所や行き来の廊下には番兵を詰めさせ、短い武器・長い武器を備えて、内外からの変を防ぐのに便利にする。およそ人が出入りする口、人の行き来する道、人の集まる所には、すべて番人を置いて変を守らせるべきである。これが人の起こす変を防ぐ戒めである。だから住まいの制はこの変を心得て、内外の防ぎを第一とする。それゆえ門の外に辻番所を立てて外の防ぎとし、門戸の左右に番所を立て、行き来する場所にはみな番屋を軽く設け、所々に小さな口を作って出入りを遮り、家の中には戸や障子を立てて開け閉めの音を高くさせ、番人の居所は四方を取り払って外をうかがいやすくする。こうして制が完全であるから、人がその番所にいれば、自然に外から非常の者は来ず、盗賊も自然に寄って来ないだろう。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
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言志四録・言志後録 第百八十一条 凶歉に予め備ふ五穀の豊歉も、亦大抵数有り。三十年前後に必ず小饑荒有り、六十年前後に必ず大凶歉有り。較遅速有りと雖も、竟に免るる能はず。之が為に予め備へざるべけんや。(癸巳春季筆す)
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『文武訓』武訓下一天下太平なれども、武をわするればあやふし。故に治世にも乱を忘れず、武事をまなぶべし。無事なる時武をならはば、後悔なかるべし。遠き慮なければ、必ず近きうれへあり。乱にのぞみて兵をならふは、渇にのぞんで井を掘るがごとし。
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『春秋左氏伝』昭公十八年 小国、守りを忘るれば危うし七月、鄭の子產火の故の為に、大いに社を為(つく)り、四方に祓禳して、火災を振除す。禮なり。乃ち兵を簡(えら)びて大いに蒐す。將に蒐の為に除(はら)はんとす。子大叔の廟は道の南に在り、其の寢は道の北に在り。其の庭小なり。期を過ぐること三日なり。除徒をして道の南、廟の北に陳せしめて曰く、「子產女(なんぢ)を過ぎて、速やかに除けと命ぜば、乃ち而(なんぢ)が鄉(む)かふ所に毀て」と。子產朝す。過ぎて之を怒る。除く者南に毀つ。子產衝に及び、從者をして之を止めしめて曰く、「北方を毀て」と。火の作るや、子產兵を授けて陴に登らしむ。子大叔曰く、「晉乃ち討ずること無からんや」と。子產曰く、「吾之を聞く、小國守を忘るれば則ち危うし、と。況んや災有るをや。國の小とす可からざるは、備へ有るが故なり」と。既にして晉の邊吏鄭を讓(せ)めて曰く、「鄭國災有り。晉君・大夫敢へて寧居せず、卜筮走望して、牲玉を愛しまず。鄭の災有るは、寡君の憂ひなり。今執事撊然として兵を授けて陴に登らしむ。將に誰を以て罪せんとする」と。
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説苑・建本豊牆磽下は未だ必ずしも崩れざるも、流行潦至れば、壊るること必ず先んず。樹の本浅く、根垓深からざるは、未だ必ずしも橛れざるも、飄風起こり暴雨至れば、抜けること必ず先んず。君子是の国に居りて、仁義を崇めず賢臣を尊ばざるも、未だ必ずしも亡びざるも、然れども一旦非常の変有らば、車馳せ人走り、指して禍至れば、乃ち始めて喉を干し唇を燋がし、天を仰ぎて歎じ、庶幾わくは天其れ之を救わんと、亦難からずや。孔子曰わく、「其の前を慎まずして其の後を悔ゆれば、悔ゆると雖も及ぶ無し」と。詩に曰わく、「其れ啜りて泣く、何ぞ嗟くも及ばん」と。本を先に正さずして末に憂いを成すを言うなり。
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