文武訓 / 武訓下
一天下太平なれども、武をわするればあやふし。故に治世にも亂を忘れず、武事をまなぶべし。無事なる時武をならはば、後悔なかるべし。遠き慮なければ、必ず近きうれへあり。亂にのぞみて兵をならふは、渴にのぞんで井を掘るがごとし。
新字:一天下太平なれども、武をわするればあやふし。故に治世にも乱を忘れず、武事をまなぶべし。無事なる時武をならはば、後悔なかるべし。遠き慮なければ、必ず近きうれへあり。乱にのぞみて兵をならふは、渇にのぞんで井を掘るがごとし。
書き下し
一天下太平なれども、武をわするればあやふし。故に治世にも乱を忘れず、武事をまなぶべし。無事なる時武をならはば、後悔なかるべし。遠き慮なければ、必ず近きうれへあり。乱にのぞみて兵をならふは、渇にのぞんで井を掘るがごとし。
現代語訳
天下が太平であっても、武を忘れれば危うい。だから治まった世でも乱を忘れず、武の事を学ぶべきです。何事もないときに武を習っておけば、後悔はないでしょう。遠い先を考えなければ、必ず身近な憂いが生じます。乱に臨んでから兵を習うのは、喉が渇いてから井戸を掘るようなものです。
解説
「治にいて乱を忘れず」は『易経』繋辞伝の言葉で、益軒はそれを武士の心得として説きます。「遠き慮りなければ必ず近き憂いあり」は論語衛霊公篇、「渇して井を穿つ」は古い医書などに見える喩えです。泰平が百年続いた江戸中期の武士に向けた戒めでした。現代では防災や健康、会社の危機管理がまさにこれです。平時に備えを怠れば、いざというとき手遅れになります。何も起きていない今こそ準備の好機だという意識を持ちたいものです。
この章句が説くこと
備え治世危機管理遠慮武
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