春秋左氏伝 / 昭公十八年 小国、守りを忘るれば危うし
七月。鄭子產為火故。大為社。祓禳於四方。振除火災。禮也。乃簡兵大蒐。將為蒐除。子大叔之廟。在道南。其寢在道北。其庭小。過期三日。使除徒陳於道南廟北曰。子產過女。而命速除。乃毀於而鄉。子產朝。過而怒之。除者南毀。子產及衝。使從者止之。曰。毀於北方。火之作也。子產授兵登陴。子大叔曰。晉無乃討乎。子產曰。吾聞之。小國忘守則危。況有災乎。國之不可小。有備故也。既晉之邊吏讓鄭曰。鄭國有災。晉君大夫不敢寧居。卜筮走望。不愛牲玉。鄭之有災。寡君之憂也。今執事撊然授兵登陴。將以誰罪。
新字:七月。鄭子産為火故。大為社。祓禳於四方。振除火災。礼也。乃簡兵大蒐。将為蒐除。子大叔之廟。在道南。其寝在道北。其庭小。過期三日。使除徒陳於道南廟北曰。子産過女。而命速除。乃毀於而郷。子産朝。過而怒之。除者南毀。子産及衝。使従者止之。曰。毀於北方。火之作也。子産授兵登陴。子大叔曰。晋無乃討乎。子産曰。吾聞之。小国忘守則危。況有災乎。国之不可小。有備故也。既晋之辺吏譲鄭曰。鄭国有災。晋君大夫不敢寧居。卜筮走望。不愛牲玉。鄭之有災。寡君之憂也。今執事撊然授兵登陴。将以誰罪。
書き下し
七月、鄭の子產火の故の為に、大いに社を為(つく)り、四方に祓禳して、火災を振除す。禮なり。乃ち兵を簡(えら)びて大いに蒐す。將に蒐の為に除(はら)はんとす。子大叔の廟は道の南に在り、其の寢は道の北に在り。其の庭小なり。期を過ぐること三日なり。除徒をして道の南、廟の北に陳せしめて曰く、「子產女(なんぢ)を過ぎて、速やかに除けと命ぜば、乃ち而(なんぢ)が鄉(む)かふ所に毀て」と。子產朝す。過ぎて之を怒る。除く者南に毀つ。子產衝に及び、從者をして之を止めしめて曰く、「北方を毀て」と。火の作るや、子產兵を授けて陴に登らしむ。子大叔曰く、「晉乃ち討ずること無からんや」と。子產曰く、「吾之を聞く、小國守を忘るれば則ち危うし、と。況んや災有るをや。國の小とす可からざるは、備へ有るが故なり」と。既にして晉の邊吏鄭を讓(せ)めて曰く、「鄭國災有り。晉君・大夫敢へて寧居せず、卜筮走望して、牲玉を愛しまず。鄭の災有るは、寡君の憂ひなり。今執事撊然として兵を授けて陴に登らしむ。將に誰を以て罪せんとする」と。
現代語訳
七月、鄭の子産は火災のために大いに社を築いて祭り、四方で祓いの祭りを行って、火災の災いを払い清めた。これは礼にかなっていた。そこで兵を選抜して大規模な閲兵を行うことにした。閲兵のために道を掃き清め、場所を空けようとした。子大叔(游吉)の家の廟は道の南にあり、居室は道の北にあった。その庭は狭かった。閲兵の期日まで三日しかなかった。子大叔は取り壊し役の人夫たちを道の南、廟の北側に並ばせて言った。「子産がお前たちの前を通って、早く片づけよと命じたら、お前たちの向いている方(廟の側)を壊せ」。子産が朝廷に出る途中で通りかかり、片づけが済んでいないのを怒った。取り壊し役は南側(廟)を壊し始めた。子産は四つ辻まで来ると、供の者に命じてそれをやめさせ、「北側(居室)を壊せ」と言った。(さかのぼって)火災が起きたとき、子産は兵に武器を授けて城壁の上に登らせた。子大叔が言った。「晋が討伐に来るのではないか」。子産は言った。「私はこう聞いている。小国が守りを忘れれば危うい、と。まして災害のあるときはなおさらだ。国が侮られないのは、備えがあるからである」。やがて晋の国境の役人が鄭を責めて言った。「鄭に災害があって、晋の君も大夫も安んじていられず、卜筮を行い、山川に走って祭り、犠牲や玉を惜しまなかった。鄭の災害は、わが君の憂いなのだ。それなのにあなた方の執政は、いかめしくも兵に武器を授けて城壁に登らせた。いったい誰を罪に問おうというのか」。
解説
この章句が説くこと
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説苑・建本豊牆磽下は未だ必ずしも崩れざるも、流行潦至れば、壊るること必ず先んず。樹の本浅く、根垓深からざるは、未だ必ずしも橛れざるも、飄風起こり暴雨至れば、抜けること必ず先んず。君子是の国に居りて、仁義を崇めず賢臣を尊ばざるも、未だ必ずしも亡びざるも、然れども一旦非常の変有らば、車馳せ人走り、指して禍至れば、乃ち始めて喉を干し唇を燋がし、天を仰ぎて歎じ、庶幾わくは天其れ之を救わんと、亦難からずや。孔子曰わく、「其の前を慎まずして其の後を悔ゆれば、悔ゆると雖も及ぶ無し」と。詩に曰わく、「其れ啜りて泣く、何ぞ嗟くも及ばん」と。本を先に正さずして末に憂いを成すを言うなり。
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