山鹿語類 / 士道・嚴居宅之制
次に無隱處、內外相隔而自令正非僻といへり。云心は居所かくるゝ所あれば、必これによつて非禮の働おこりぬべし。居所人のみる處よりかくれず、內外を堅く隔て、男女不出入、仕官各己れが居る所を守り、老壯若しこと〴〵く相阻て、其間其坐にかくるゝ處なくんば、人誰か非僻のことをなすべきや。是居宅の制によつて自威儀たゞしかるべし。不然時は、閑居の席をまうけて、仕官のものにも隔をなし、彼我のへだて好惡のことあつて、臣更に內をうかゞはず、常に戶障子を立て我が居る所をみせしめざる、皆非僻の行ある輩の居宅と可知也。君子大丈夫更に耻る所なし。內に省みてやましからず。悉く內外通用の隱すべき所あらず。休息すべきには寢所に入るべし。寢所に入には必ず時あり。時をたがへば非禮と云べき也。されば君子は居安すからんことを不求といへり。居の安きを求むると云は、隱居所をかまへ、休息がちにして、身を利し、つとめを失ふことを戒め玉へる也。
新字:次に無隠処、内外相隔而自令正非僻といへり。云心は居所かくるゝ所あれば、必これによつて非礼の働おこりぬべし。居所人のみる処よりかくれず、内外を堅く隔て、男女不出入、仕官各己れが居る所を守り、老壮若しこと〴〵く相阻て、其間其坐にかくるゝ処なくんば、人誰か非僻のことをなすべきや。是居宅の制によつて自威儀たゞしかるべし。不然時は、閑居の席をまうけて、仕官のものにも隔をなし、彼我のへだて好悪のことあつて、臣更に内をうかゞはず、常に戸障子を立て我が居る所をみせしめざる、皆非僻の行ある輩の居宅と可知也。君子大丈夫更に耻る所なし。内に省みてやましからず。悉く内外通用の隠すべき所あらず。休息すべきには寝所に入るべし。寝所に入には必ず時あり。時をたがへば非礼と云べき也。されば君子は居安すからんことを不求といへり。居の安きを求むると云は、隠居所をかまへ、休息がちにして、身を利し、つとめを失ふことを戒め玉へる也。
書き下し
次に無隠処、内外相隔而自令正非僻といへり。云心は居所かくるゝ所あれば、必これによつて非礼の働おこりぬべし。居所人のみる処よりかくれず、内外を堅く隔て、男女不出入、仕官各己れが居る所を守り、老壮若しこと〴〵く相阻て、其間其坐にかくるゝ処なくんば、人誰か非僻のことをなすべきや。是居宅の制によつて自威儀たゞしかるべし。不然時は、閑居の席をまうけて、仕官のものにも隔をなし、彼我のへだて好悪のことあつて、臣更に内をうかゞはず、常に戸障子を立て我が居る所をみせしめざる、皆非僻の行ある輩の居宅と可知也。君子大丈夫更に耻る所なし。内に省みてやましからず。悉く内外通用の隠すべき所あらず。休息すべきには寝所に入るべし。寝所に入には必ず時あり。時をたがへば非礼と云べき也。されば君子は居安すからんことを不求といへり。居の安きを求むると云は、隠居所をかまへ、休息がちにして、身を利し、つとめを失ふことを戒め玉へる也。
現代語訳
次に「隠れる所をなくし、内と外を隔てて、自然によこしまを正させる」と言われる。その意味は、居る所に隠れる場所があれば、必ずそれによって非礼の振る舞いが起こるだろうということである。居る所が人の見る所から隠れず、内と外を固く隔てて男女が出入りせず、仕える者はそれぞれ自分の居場所を守り、老・壮・若がことごとく隔てられ、その間その座に隠れる所がなければ、誰がよこしまなことをしようか。これは住まいの制によって自然に威儀が正しくなるということである。そうでない場合、閑居の席を設けて仕える者にも隔てを作り、あちらとこちらの隔てや好き嫌いがあって、家臣が少しも内をうかがえず、常に戸や障子を立てて自分の居る所を見せないのは、みなよこしまな行いのある者の住まいと知るべきである。君子・大丈夫には少しも恥じる所がない。内に省みてやましくない。すべてが内外に通じていて隠すべき所がない。休息すべきときには寝所に入ればよい。寝所に入るには必ず時がある。時を違えれば非礼というべきである。だから「君子は居に安きを求めず」と言われる。居に安きを求めるとは、隠居所を構えて休息がちになり、自分の身を利してつとめを失うことであり、それを戒められたのである。
解説
この章句が説くこと
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