言志四録 / 言志後録 第百八十一条 凶歉に予め備ふ
五穀豊歉。亦大抵有數。三十年前後。必有小饑荒。六十年前後。必有大凶歉。雖較有遲速。竟不能免。可不爲之豫備乎。癸巳春季筆
新字:五穀豊歉。亦大抵有数。三十年前後。必有小饑荒。六十年前後。必有大凶歉。雖較有遅速。竟不能免。可不為之予備乎。癸巳春季筆
書き下し
五穀の豊歉も、亦大抵数有り。三十年前後に必ず小饑荒有り、六十年前後に必ず大凶歉有り。較遅速有りと雖も、竟に免るる能はず。之が為に予め備へざるべけんや。(癸巳春季筆す)
現代語訳
五穀の豊作・不作にも、おおむね定まった巡り合わせがある。三十年前後には必ず小さな飢饉があり、六十年前後には必ず大凶作がある。多少の遅い早いはあっても、結局は免れることができない。そのために前もって備えておかないでよいだろうか。(天保四年〈一八三三〉春に記す)
解説
前条の気運の盛衰を、農作の豊凶という具体的な問題に当てはめた一条です。末尾の年記の癸巳は天保四年で、この年から天保の大飢饉が本格化し、数年にわたって各地で餓死者や一揆が相次ぎました。一斎は、三十年ごとに小飢饉、六十年ごとに大凶作が来るという経験則を示し、遅速の差はあっても避けられない以上、あらかじめ備えよと説きます。天明の大飢饉からおよそ五十年という時期に書かれたこの条は、切実な警告だったでしょう。運命の「数」を認めることは諦めではなく、備えの根拠になるという点が大切です。景気循環や災害への備えを考えるうえで、今も示唆に富む一条です。
この章句が説くこと
備え危機管理凶作数為政
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