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五常訓 / 巻之四・礼

一林放と云ひし人、世上の禮を行ふ者、かざり多く、ことわざしげくして、末をもはら務むるを、禮の本意にあらじと思ひて、禮の本を孔子に問ふ。凡萬の事、まづ其本を得れば、其末おのづから出來るものなり。たとへば樹木の根本堅固なれば、千枝萬葉皆これより出づるが如し。本をうしなひて、末のみをつとむれば、其實を失ふ。故に其つとむる事しげくして、其なすわざ小なり。しかるに、時の人のまよへるを悟り、禮の本に志あるを大なる問なりとて、先ほめ給ふ。さて答へてのたまふ意は、萬の禮は、中を得るを貴ぶ。中は過不及なきなり。是禮の當然にて、至極せる道理なり。されども中に行ふ事ならずば、其本をつとむべし。萬の事かざりのみにて、外の儀文華美にしておごらんよりは、唯ねがはくは儉を行ふべし。

新字:一林放と云ひし人、世上の礼を行ふ者、かざり多く、ことわざしげくして、末をもはら務むるを、礼の本意にあらじと思ひて、礼の本を孔子に問ふ。凡万の事、まづ其本を得れば、其末おのづから出来るものなり。たとへば樹木の根本堅固なれば、千枝万葉皆これより出づるが如し。本をうしなひて、末のみをつとむれば、其実を失ふ。故に其つとむる事しげくして、其なすわざ小なり。しかるに、時の人のまよへるを悟り、礼の本に志あるを大なる問なりとて、先ほめ給ふ。さて答へてのたまふ意は、万の礼は、中を得るを貴ぶ。中は過不及なきなり。是礼の当然にて、至極せる道理なり。されども中に行ふ事ならずば、其本をつとむべし。万の事かざりのみにて、外の儀文華美にしておごらんよりは、唯ねがはくは倹を行ふべし。

書き下し

一林放と云ひし人、世上の礼を行ふ者、かざり多く、ことわざしげくして、末をもはら務むるを、礼の本意にあらじと思ひて、礼の本を孔子に問ふ。凡万の事、まづ其本を得れば、其末おのづから出来るものなり。たとへば樹木の根本堅固なれば、千枝万葉皆これより出づるが如し。本をうしなひて、末のみをつとむれば、其実を失ふ。故に其つとむる事しげくして、其なすわざ小なり。しかるに、時の人のまよへるを悟り、礼の本に志あるを大なる問なりとて、先ほめ給ふ。さて答へてのたまふ意は、万の礼は、中を得るを貴ぶ。中は過不及なきなり。是礼の当然にて、至極せる道理なり。されども中に行ふ事ならずば、其本をつとむべし。万の事かざりのみにて、外の儀文華美にしておごらんよりは、唯ねがはくは倹を行ふべし。

現代語訳

林放という人は、世間で礼を行う者が飾りが多く、所作が繁雑で、末ばかりを務めているのを、礼の本意ではないだろうと思って、礼の本を孔子に問いました。およそあらゆることは、まずその本を得れば、その末はおのずからできてくるものです。たとえば樹木の根本が堅固であれば、千の枝も万の葉もみなこれから出てくるようなものです。本を失って末ばかりを務めれば、その実を失います。ゆえにその務めることは繁雑で、その成すことは小さいのです。そこで孔子は、林放が時の人々の迷いを悟り、礼の本に志があるのを大きな問いだとして、まずほめられました。さて答えておっしゃった意味は、あらゆる礼は中を得ることを貴びます。中とは過不及のないことです。これが礼の当然であって、至極の道理です。けれども中に行うことができなければ、その本を務めるべきです。あらゆることが飾りばかりで、外の儀文が華美で驕るよりは、ただ願わくは倹を行うべきだということです。

解説

『論語』八佾篇で、林放が礼の本を問い、孔子が「大なるかな問ひや。礼は其の奢らんよりは寧ろ倹せよ。喪は其の易めんよりは寧ろ戚め」と答えた場面を解説しています。根が堅ければ枝葉は自然に茂るという樹木のたとえで、形式ばかり整えても本がなければ実を失うと説きます。最善は過不及のない中だが、それができないなら華美より質素を選べという孔子の答えは現実的です。見栄や体裁に走りがちな冠婚葬祭や贈答を考えるうえで、今も参考になる指針です。

この章句が説くこと

礼本末倹約論語林放

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