山鹿語類 / 士道・明衣服之制
本朝の冠、亦各其位に因て其制あり。往古は冠の品を以て官位の名を定む。凡そ冠のこと、其本人の頭の威儀を正くするにあり。されば頭の容傾倒する時は、冠の形かたぶいて前後の旒則面にあたりぬべし。是不得已して頭の容の正しきゆゑん也。頭の形正きときは、視聽の動自然に非禮なることなし。聖人豈是を以て其粧りとするのみならんや。其所因甚深し。近代に至ては其制相のこるといへども、皆便利を專とするがゆゑに、今の士大夫唯頭をあらはして首服なし。爰において元服の禮やみ、士冠禮の義絕す。成人の禮不行こと殆可歎息也。故に公庭出仕の輩、自から身の傾側して威儀のそこぬるを不知。或け矮屋によぢ入、或は屏障にもたれ、或は俯仰時を失て禮容みだるゝに至りぬ。
新字:本朝の冠、亦各其位に因て其制あり。往古は冠の品を以て官位の名を定む。凡そ冠のこと、其本人の頭の威儀を正くするにあり。されば頭の容傾倒する時は、冠の形かたぶいて前後の旒則面にあたりぬべし。是不得已して頭の容の正しきゆゑん也。頭の形正きときは、視聴の動自然に非礼なることなし。聖人豈是を以て其粧りとするのみならんや。其所因甚深し。近代に至ては其制相のこるといへども、皆便利を専とするがゆゑに、今の士大夫唯頭をあらはして首服なし。爰において元服の礼やみ、士冠礼の義絶す。成人の礼不行こと殆可嘆息也。故に公庭出仕の輩、自から身の傾側して威儀のそこぬるを不知。或け矮屋によぢ入、或は屏障にもたれ、或は俯仰時を失て礼容みだるゝに至りぬ。
書き下し
本朝の冠、亦各其位に因て其制あり。往古は冠の品を以て官位の名を定む。凡そ冠のこと、其本人の頭の威儀を正くするにあり。されば頭の容傾倒する時は、冠の形かたぶいて前後の旒則面にあたりぬべし。是不得已して頭の容の正しきゆゑん也。頭の形正きときは、視聴の動自然に非礼なることなし。聖人豈是を以て其粧りとするのみならんや。其所因甚深し。近代に至ては其制相のこるといへども、皆便利を専とするがゆゑに、今の士大夫唯頭をあらはして首服なし。爰において元服の礼やみ、士冠礼の義絶す。成人の礼不行こと殆可嘆息也。故に公庭出仕の輩、自から身の傾側して威儀のそこぬるを不知。或け矮屋によぢ入、或は屏障にもたれ、或は俯仰時を失て礼容みだるゝに至りぬ。
現代語訳
わが国の冠も、またそれぞれ位によってその制度がある。古は冠の等級によって官位の名を定めた。およそ冠のことは、その人の頭の威儀を正しくすることにある。だから頭の姿勢が傾くときは、冠の形も傾いて、前後の旒がすぐに顔に当たってしまう。これはやむをえず頭の姿勢が正しくなるようにするためである。頭の形が正しいときは、見たり聞いたりする動きにおのずと非礼なことがない。聖人がどうしてこれを飾りとするだけであろうか。その理由はたいへん深い。近代に至っては、その制度はいくらか残っているといっても、みな便利を第一とするので、今の士大夫はただ頭をあらわにして首服(かぶりもの)がない。ここにおいて元服の礼がやみ、士冠礼の意義が絶えた。成人の礼が行われないことは、ほとんど嘆息すべきである。ゆえに公の場に出仕する者たちは、自分の身が傾いて威儀がそこなわれているのに気づかない。あるいは低い家に身をかがめて這い入り、あるいは屏風や障子にもたれ、あるいはうつむいたり仰いだりする時を誤って、礼の姿が乱れるに至っている。
解説
この章句が説くこと
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