山鹿語類 / 士道・明衣服之制
馬端臨曰、周以前冠冕之制不詳、然冠之制有三、曰冕、曰弁、曰冠、冕者朝祭之服、惟有位者得服之、弁亞於冕、所謂周弁般啤夏收是也、冠亞於弁、所謂委貌章甫母追是也、弁與冠、自天子至于士、皆得服之、至周而等級始嚴、故大夫雖可以服冕、而私家之祭不得用之、天子不妨服弁、而雖小祀必以冕、蓋冕弁之尊卑始分矣、上得以兼下、下不得以兼上、然弁有二、曰皮弁、以白鹿皮爲之、其制最古、曰爵弁、則其制下員上方、如冕而無旒、古者冠禮三加、始緇布冠、次爵弁、皆士服也、大夫則服冕矣、古者雖重冠禮、而於服章之祭、視之彌重、故雖天子之元子、始冠亦服士之服、至爵弁而止、而不敢僣用冕、所謂天下無生而貴者、其嚴如此、といへり。
新字:馬端臨曰、周以前冠冕之制不詳、然冠之制有三、曰冕、曰弁、曰冠、冕者朝祭之服、惟有位者得服之、弁亜於冕、所謂周弁般啤夏収是也、冠亜於弁、所謂委貌章甫母追是也、弁与冠、自天子至于士、皆得服之、至周而等級始厳、故大夫雖可以服冕、而私家之祭不得用之、天子不妨服弁、而雖小祀必以冕、蓋冕弁之尊卑始分矣、上得以兼下、下不得以兼上、然弁有二、曰皮弁、以白鹿皮為之、其制最古、曰爵弁、則其制下員上方、如冕而無旒、古者冠礼三加、始緇布冠、次爵弁、皆士服也、大夫則服冕矣、古者雖重冠礼、而於服章之祭、視之弥重、故雖天子之元子、始冠亦服士之服、至爵弁而止、而不敢僣用冕、所謂天下無生而貴者、其厳如此、といへり。
書き下し
馬端臨曰、周以前冠冕之制不詳、然冠之制有三、曰冕、曰弁、曰冠、冕者朝祭之服、惟有位者得服之、弁亜於冕、所謂周弁般啤夏収是也、冠亜於弁、所謂委貌章甫母追是也、弁与冠、自天子至于士、皆得服之、至周而等級始厳、故大夫雖可以服冕、而私家之祭不得用之、天子不妨服弁、而雖小祀必以冕、蓋冕弁之尊卑始分矣、上得以兼下、下不得以兼上、然弁有二、曰皮弁、以白鹿皮為之、其制最古、曰爵弁、則其制下員上方、如冕而無旒、古者冠礼三加、始緇布冠、次爵弁、皆士服也、大夫則服冕矣、古者雖重冠礼、而於服章之祭、視之弥重、故雖天子之元子、始冠亦服士之服、至爵弁而止、而不敢僣用冕、所謂天下無生而貴者、其厳如此、といへり。
現代語訳
馬端臨は言う。「周以前の冠冕の制度は詳しくない。しかし冠の制度には三つある。冕・弁・冠である。冕は朝廷や祭祀の服で、位のある者だけが着けられる。弁は冕に次ぐもので、いわゆる周の弁、殷の冔、夏の収がこれである。冠は弁に次ぐもので、いわゆる委貌・章甫・毋追がこれである。弁と冠は、天子から士に至るまでみな着けられる。周に至って等級が初めて厳しくなった。ゆえに大夫は冕を着けることができても、私家の祭りにはこれを用いることができず、天子は弁を着けても差し支えないが、小さな祭りでも必ず冕を用いる。思うに冕と弁の尊卑がここで初めて分かれたのである。上は下を兼ねることができるが、下は上を兼ねることができない。そして弁には二つある。皮弁は白い鹿の皮で作り、その制度がもっとも古い。爵弁はその形が下が円く上が方形で、冕のようだが旒がない。古の冠礼の三加は、初めに緇布冠、次に爵弁で、みな士の服である。大夫ならば冕を着ける。古は冠礼を重んじたが、服章の祭りにおいては、これをいっそう重く見た。ゆえに天子の長子であっても、初めて冠を着けるときはやはり士の服を着け、爵弁で止めて、あえて冕を分を越えて用いなかった。いわゆる『天下に生まれながらにして貴い者はない』というのは、その厳しさがこのようであった」と言っている。
解説
この章句が説くこと
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