山鹿語類 / 士道・明衣服之制
而して父子兄弟夫婦朋友の間、其衣服の品、是又其制あるべし。曲禮曰、爲人子者、父母存、冠衣不純素、冠飾衣緣、皆曰純、孤子當室、幼而無父曰孤、當室爲父後者、冠衣不純采、素哀色、采喜色、と云へるが如し。庶子の服は表紋を大に不出、或其品をかへしむるが如き、是兄弟の服也。男女は尤其制別也。朋友の會には燕居の服あり。賓主の禮服あり。すべて其品差別あるべければ、必爵祿計りに不限。五倫の次第を明にして、其衣服を制せしめ、其分を定むべき也。本朝衣服令を撰して、君臣男女の禮著し。往古の制甚重し。豈疎にすべけんや。而して一年の間寒暑によりて更衣の沙汰あり。一月の間朔望俗節禮日の制あり。當暑袗絺綌必表而出之、吉月必朝服而朝といへり。又晝夜の服あり。必有寢衣、長一身有半と云が如し。又老弱に因て其制あり。五十非帛不暖、童子不裘不帛、不履絇と出たり。是專時分を可考也。
新字:而して父子兄弟夫婦朋友の間、其衣服の品、是又其制あるべし。曲礼曰、為人子者、父母存、冠衣不純素、冠飾衣縁、皆曰純、孤子当室、幼而無父曰孤、当室為父後者、冠衣不純采、素哀色、采喜色、と云へるが如し。庶子の服は表紋を大に不出、或其品をかへしむるが如き、是兄弟の服也。男女は尤其制別也。朋友の会には燕居の服あり。賓主の礼服あり。すべて其品差別あるべければ、必爵禄計りに不限。五倫の次第を明にして、其衣服を制せしめ、其分を定むべき也。本朝衣服令を撰して、君臣男女の礼著し。往古の制甚重し。豈疎にすべけんや。而して一年の間寒暑によりて更衣の沙汰あり。一月の間朔望俗節礼日の制あり。当暑袗絺綌必表而出之、吉月必朝服而朝といへり。又昼夜の服あり。必有寝衣、長一身有半と云が如し。又老弱に因て其制あり。五十非帛不暖、童子不裘不帛、不履絇と出たり。是専時分を可考也。
書き下し
而して父子兄弟夫婦朋友の間、其衣服の品、是又其制あるべし。曲礼曰、為人子者、父母存、冠衣不純素、冠飾衣縁、皆曰純、孤子当室、幼而無父曰孤、当室為父後者、冠衣不純采、素哀色、采喜色、と云へるが如し。庶子の服は表紋を大に不出、或其品をかへしむるが如き、是兄弟の服也。男女は尤其制別也。朋友の会には燕居の服あり。賓主の礼服あり。すべて其品差別あるべければ、必爵禄計りに不限。五倫の次第を明にして、其衣服を制せしめ、其分を定むべき也。本朝衣服令を撰して、君臣男女の礼著し。往古の制甚重し。豈疎にすべけんや。而して一年の間寒暑によりて更衣の沙汰あり。一月の間朔望俗節礼日の制あり。当暑袗絺綌必表而出之、吉月必朝服而朝といへり。又昼夜の服あり。必有寝衣、長一身有半と云が如し。又老弱に因て其制あり。五十非帛不暖、童子不裘不帛、不履絇と出たり。是専時分を可考也。
現代語訳
そして父子・兄弟・夫婦・朋友の間でも、その衣服の等級にはまた制度があるべきである。『礼記』曲礼に「人の子たる者は、父母が存命であれば冠や衣を純素(白一色の縁)にしない。冠の飾り、衣の縁をともに純という。孤子で家を継ぐ者は、冠や衣の縁を彩りにしない。幼くて父のない者を孤といい、当室とは父の後を継ぐ者をいう。素は悲しみの色、采は喜びの色である」とあるとおりである。庶子の服は家紋を大きく出さず、あるいはその等級を変えさせるなどするのが兄弟の服である。男女はとりわけ制度が別である。朋友の集まりには燕居(くつろぎ)の服があり、賓客と主人の礼服がある。すべてその等級に区別があるべきだから、必ずしも爵位や禄だけに限らない。五倫の順序を明らかにして衣服を定めさせ、その分を定めるべきである。わが国は衣服令を選定して、君臣男女の礼が明らかである。古の制度はたいへん重い。どうしておろそかにできようか。そして一年のうちでは寒暑によって衣替えの定めがある。一か月のうちでは朔日・望日・俗の節句・礼の日の定めがある。『論語』に「暑さに当たっては単衣の葛布を、必ず上に着て出る」「月の朔日には必ず朝服を着て朝廷に出る」とある。また昼夜の服がある。「必ず寝間着があり、長さは身の丈の一倍半」とあるようなものである。また老人や幼い者によって制度がある。「五十歳では絹でなければ暖かくない」「童子は皮衣を着ず絹を着ず、飾りのある履物をはかない」と出ている。これはもっぱら時と分を考えるべきだということである。
解説
この章句が説くこと
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論語・為政篇孟懿子孝を問う。子曰く、「違(たが)うこと無かれ。」樊遅御(ぎょ)す。子之に告げて曰く、「孟孫我に孝を問う。我対えて曰く、違(たが)うこと無かれと。」樊遅が曰く、「何の謂(いい)ぞや。」子曰く、「生きては之に事(つか)うるに礼を以てし、死しては之を葬るに礼を以てし、之を祭るに礼を以てす。」
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『春秋左氏伝』隠公元年 孝子匱しからず君子曰く、「潁考叔は純孝なり。其の母を愛して、施いて莊公に及ぶ。詩に曰く、『孝子匱しからず、永く爾の類に錫ふ』と。其れ是を之れ謂ふか」と。秋、七月、天王宰咺をして來りて惠公・仲子の賵を歸らしむ。緩し、且つ子氏未だ薨ぜず、故に名いふ。天子は七月にして葬り、同軌畢く至る。諸侯は五月、同盟至る。大夫は三月、同位至る。士は月を踰え、外姻至る。死に贈りて尸に及ばず、生を弔ひて哀に及ばず、凶事を豫めするは、禮に非ざるなり。八月、紀人夷を伐つ。夷告げず、故に書せず。蜚有り。災を為さず、亦た書せず。惠公の季年、宋の師を黃に敗る。公立ちて、成を求む。九月、宋人と宿に盟ふ、始めて通ずるなり。冬、十月、庚申、惠公を改葬す。公臨まず、故に書せず。惠公の薨ずるや、宋の師有り、太子少し、葬に故に闕有り、是を以って改葬す。衛侯來りて葬に會す、公に見えず、亦た書せず。鄭の共叔の亂に、公孫滑出でて衛に奔る。衛人之が為に鄭を伐ち、廩延を取る。鄭人王の師・虢の師を以って衛の南鄙を伐つ。師を邾に請ふ。邾子私かに公子豫に使ひす。豫往かんと請ふ、公許さず、遂に行く。邾人・鄭人と翼に盟ふ。書せざるは、公の命に非ざればなり。新たに南門を作る。書せざるは、亦た公の命に非ざればなり。十二月、祭伯來る、王命に非ざるなり。眾父卒す。公小斂に與らず、故に日を書せず。
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『慎思録』巻之六凡そ子弟たる者は、須らく尊長の事に勤労すべし。自ら尊長の態を為して、安逸を為すこと勿かれ。凡そ人の子たるの礼は、須らく朝夕父母を定省すべし。或は居を同じくせざる者も、亦其の遠近に随ひて、毎日一たび省み、或は数日に一たび省みて、疏濶なること勿かれ。文王の世子たるや、王季に朝すること日に三たび、雞初めて鳴きて至り、日中に及びて又至り、莫に及びて又至る。世子すら猶ほ此くの如し。況んや賤しき者に於いてをや。
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『都鄙問答』卷之一・播州ノ人學問ノ事ヲ問ノ段曰、其中に心得がたきことあり。衣類に美麗をなさずと云へり。先父母は、我子に、他よりよき物を著たく思ふは、親の心なり。それに麁相なる衣類を著ては、父母の心を害ゆへ、不孝にあらずや。答、人に背、麁相にせよと云にはあらず。我言所は、約を守ることを云。道に明なる父母ならば、如何ぞ礼に背き、奢ことを喜ぶべきや。孔子も、礼与其奢寧倹とのたまふ。然れば礼に少かくる所ありとも、奢の害は大なりと知らるべし。又道に疎く、奢を好む父母に、尽心に合ことばかりは成難。成難ことを、譬て云はゞ、父母盗が好なればとて、盗をせられんや。内証にて此を止は、真実の心よりなす所なり。心を知る時は、孝の道をそこなはず、父母の悪事をも止め、父母を道に向しむ。又道ある父母ならば、心自ら合べし。是学問の力なり。
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