山鹿語類 / 士道・明衣服之制
未學の書生此わきまへを不知、堯の鹿裘塞寒、布衣弊形、禹の惡衣服といへるを以て證して、天子諸侯も民間の服をなさんことを云。甚あやまれり。其制上に究まり、下其掟を守ては、威儀こゝに立ぬべし。漢の文帝の時、賈誼上疏曰、今民賣僮者、僮謂隷妾爲之繡衣絲履偏諸、緣內之間中、間賣奴婢是古天子后服、所以廟而不宴者也、而庶人得以衣婢妾、曰白縠之表、薄紈之裏、緁以偏諸、美者黻繡、是古天子之服、今富人大賈、嘉會召客者以被牆、古者以奉一帝一后而節適、今庶人屋墻、得爲帝服、倡優下賤、得爲后飾と論ず。是秦に至て聖人の禮法悉く廢し、前漢二百餘年は未だ衣服の制定まらず、後漢の顯宗其制を改め、唐宋に及んで殆んど品を定む。爵祿に從て其衣服不正しては、分必ずみだれ、上は儉にすぎ、下は奢を放にするに可至也。尤可謹。是君臣の制也。
新字:未学の書生此わきまへを不知、堯の鹿裘塞寒、布衣弊形、禹の悪衣服といへるを以て証して、天子諸侯も民間の服をなさんことを云。甚あやまれり。其制上に究まり、下其掟を守ては、威儀こゝに立ぬべし。漢の文帝の時、賈誼上疏曰、今民売僮者、僮謂隷妾為之繍衣糸履偏諸、縁内之間中、間売奴婢是古天子后服、所以廟而不宴者也、而庶人得以衣婢妾、曰白縠之表、薄紈之裏、緁以偏諸、美者黻繍、是古天子之服、今富人大賈、嘉会召客者以被牆、古者以奉一帝一后而節適、今庶人屋墻、得為帝服、倡優下賤、得為后飾と論ず。是秦に至て聖人の礼法悉く廃し、前漢二百余年は未だ衣服の制定まらず、後漢の顕宗其制を改め、唐宋に及んで殆んど品を定む。爵禄に従て其衣服不正しては、分必ずみだれ、上は倹にすぎ、下は奢を放にするに可至也。尤可謹。是君臣の制也。
書き下し
未学の書生此わきまへを不知、堯の鹿裘塞寒、布衣弊形、禹の悪衣服といへるを以て証して、天子諸侯も民間の服をなさんことを云。甚あやまれり。其制上に究まり、下其掟を守ては、威儀こゝに立ぬべし。漢の文帝の時、賈誼上疏曰、今民売僮者、僮謂隷妾為之繍衣糸履偏諸、縁内之間中、間売奴婢是古天子后服、所以廟而不宴者也、而庶人得以衣婢妾、曰白縠之表、薄紈之裏、緁以偏諸、美者黻繍、是古天子之服、今富人大賈、嘉会召客者以被牆、古者以奉一帝一后而節適、今庶人屋墻、得為帝服、倡優下賤、得為后飾と論ず。是秦に至て聖人の礼法悉く廃し、前漢二百余年は未だ衣服の制定まらず、後漢の顕宗其制を改め、唐宋に及んで殆んど品を定む。爵禄に従て其衣服不正しては、分必ずみだれ、上は倹にすぎ、下は奢を放にするに可至也。尤可謹。是君臣の制也。
現代語訳
学問の浅い書生はこのわきまえを知らず、堯が鹿の皮衣で寒さをしのぎ、布の衣で身を覆ったこと、禹が衣服を粗末にしたことを証拠にして、天子や諸侯も民間の服を着るべきだと言う。大いに誤っている。制度が上で定まり、下がその決まりを守ってこそ、威儀はここに立つのである。漢の文帝の時、賈誼が上奏して言った。「いま民で奴婢を売る者は、婢妾のために刺繍の衣や絹の履物を作り、縁を飾り、それを囲いの中に入れて売っている。これは古の天子の后の服で、宗廟に参るときに着て宴には着なかったものである。それなのに庶人が婢妾に着せている。白いちりめんの表、薄い練り絹の裏に縁飾りをつけ、美しいものは黻の刺繍をしている。これは古の天子の服であるのに、いまや富豪や大商人は宴会に客を招くとき、それで壁を覆っている。古は一人の帝と一人の后に奉ってちょうどよかったものを、いまは庶人が屋敷の壁を帝の服で飾り、芸人や身分の低い者が后の飾りを身につけている」と論じた。これは秦に至って聖人の礼法がことごとく廃れ、前漢二百余年はまだ衣服の制度が定まらず、後漢の顕宗(明帝)がその制度を改め、唐宋に及んでほぼ等級を定めたのである。爵位や禄に従ってその衣服が正しくなければ、分は必ず乱れ、上は倹約に過ぎ、下は奢りをほしいままにするに至るであろう。もっとも慎むべきである。これが君臣の制度である。
解説
この章句が説くこと
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