政談 / 妾を隱し物とする事
唐律を按するに妻の次に媵と云ふものあり、是は賤しきものにあらす、妻とさまて變りもなき家筋の人なり、和律は此の所闕卷なれは事のやう知れされとも、惣躰日本の古法は唐朝の風なれは替りあるまじ、この媵は即ち古の姪娣なり、兼て斯の如き人を妾の役にして、婚禮の時より連行くときは、此の風なれこになりて本妻の嫉妬も薄き道理なり、又本妻の親類にて家來の內をすることなれは、人の心は樣々なれとも先つは妾の惡事薄き道理なり、兼て數多設け置き候ときは、大好色の人は格別のこと、大方は男の心も、是にて足るへし、古の聖人は人情を察して男女の間に事少なきために、斯の如く禮を立て玉ふことなり、
新字:唐律を按するに妻の次に媵と云ふものあり、是は賤しきものにあらす、妻とさまて変りもなき家筋の人なり、和律は此の所闕巻なれは事のやう知れされとも、惣体日本の古法は唐朝の風なれは替りあるまじ、この媵は即ち古の姪娣なり、兼て斯の如き人を妾の役にして、婚礼の時より連行くときは、此の風なれこになりて本妻の嫉妬も薄き道理なり、又本妻の親類にて家来の内をすることなれは、人の心は様々なれとも先つは妾の悪事薄き道理なり、兼て数多設け置き候ときは、大好色の人は格別のこと、大方は男の心も、是にて足るへし、古の聖人は人情を察して男女の間に事少なきために、斯の如く礼を立て玉ふことなり、
書き下し
唐律を按するに妻の次に媵と云ふものあり、是は賤しきものにあらす、妻とさまて変りもなき家筋の人なり、和律は此の所闕巻なれは事のやう知れされとも、惣体日本の古法は唐朝の風なれは替りあるまじ、この媵は即ち古の姪娣なり、兼て斯の如き人を妾の役にして、婚礼の時より連行くときは、此の風なれこになりて本妻の嫉妬も薄き道理なり、又本妻の親類にて家来の内をすることなれは、人の心は様々なれとも先つは妾の悪事薄き道理なり、兼て数多設け置き候ときは、大好色の人は格別のこと、大方は男の心も、是にて足るへし、古の聖人は人情を察して男女の間に事少なきために、斯の如く礼を立て玉ふことなり、
現代語訳
唐律を調べると、妻の次に媵(よう)というものがある。これは賤しい者ではない。妻とさほど変わらない家筋の人である。日本の律はこの部分が欠巻なので詳しい事情はわからないが、総じて日本の古法は唐朝の風であるから、変わりはあるまい。この媵がすなわち古の姪娣である。かねてこのような人を妾の役にして、婚礼のときから連れて行くようにすれば、この風に慣れて、本妻の嫉妬も薄くなる道理である。また本妻の親類で、家来の内から出すことなので、人の心はさまざまではあるが、まずは妾の悪事も少なくなる道理である。かねて数多く設けておくときは、大の好色の人は格別、たいていは男の心もこれで足りるだろう。古の聖人は人情を察して、男女の間に揉めごとを少なくするために、このように礼を立てられたのである。
解説
この章句が説くこと
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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