政談 / 金銀錢員數減少する仔細の事
偖錢は道中を運ふこと不便利なるものなる故大名の城下々々にても心儘に鑄さすへきことなり、異國にても錢は國々にて鑄て其の國の名を裏方に付けたることなり、偖又湯殿淺間の麓にて紙錢を賣せて之を投入さすへし、されは別當の爲めには成りて世間の實消失せまし、古より僧には金銀米錢を供し、佛神に直に供するは紙錢を用ゆること古法なり、是はあの方に御用なきものなれとも、此方の誠を表はすためはかりなれはなり、今は天台宗の儀式に紙錢あるなり、又死人の棺へ入るゝも紙錢なるへし、聖人の法にも、明器とて人の用に立たぬものを棺の內へは入るゝことなる故、異國は皆斯の如し、右の如く法を立ては錢の減少することは以來は少かるへし、
新字:偖銭は道中を運ふこと不便利なるものなる故大名の城下々々にても心儘に鋳さすへきことなり、異国にても銭は国々にて鋳て其の国の名を裏方に付けたることなり、偖又湯殿浅間の麓にて紙銭を売せて之を投入さすへし、されは別当の為めには成りて世間の実消失せまし、古より僧には金銀米銭を供し、仏神に直に供するは紙銭を用ゆること古法なり、是はあの方に御用なきものなれとも、此方の誠を表はすためはかりなれはなり、今は天台宗の儀式に紙銭あるなり、又死人の棺へ入るゝも紙銭なるへし、聖人の法にも、明器とて人の用に立たぬものを棺の内へは入るゝことなる故、異国は皆斯の如し、右の如く法を立ては銭の減少することは以来は少かるへし、
書き下し
偖銭は道中を運ふこと不便利なるものなる故大名の城下々々にても心儘に鋳さすへきことなり、異国にても銭は国々にて鋳て其の国の名を裏方に付けたることなり、偖又湯殿浅間の麓にて紙銭を売せて之を投入さすへし、されは別当の為めには成りて世間の実消失せまし、古より僧には金銀米銭を供し、仏神に直に供するは紙銭を用ゆること古法なり、是はあの方に御用なきものなれとも、此方の誠を表はすためはかりなれはなり、今は天台宗の儀式に紙銭あるなり、又死人の棺へ入るゝも紙銭なるへし、聖人の法にも、明器とて人の用に立たぬものを棺の内へは入るゝことなる故、異国は皆斯の如し、右の如く法を立ては銭の減少することは以来は少かるへし、
現代語訳
さて、銭は道中を運ぶのに不便なものなので、大名の城下城下でも思いのままに鋳させるべきである。異国でも銭は国々で鋳て、その国の名を裏側に付けたものである。さてまた、湯殿山・浅間山の麓で紙銭を売らせて、これを投げ入れさせるべきである。そうすれば別当(寺社の管理者)のためにもなり、世間の実物(本物の銭)は失われないであろう。昔から僧には金銀・米・銭を供し、仏や神にじかに供えるのは紙銭を用いるのが古法である。これはあちら(神仏)にはご用のないものだが、こちらの誠を表すためだけのものだからである。今も天台宗の儀式に紙銭がある。また死人の棺へ入れるのも紙銭がよいであろう。聖人の法にも明器といって、人の用に立たないものを棺の中へ入れることになっているので、異国ではみなこのとおりである。右のように法を立てれば、銭が減少することは今後は少なくなるであろう。
解説
この章句が説くこと
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