論語 / 八佾篇
子貢欲去吿朔之餼羊。子曰:「賜也!爾愛其羊,我愛其禮。」
新字:子貢欲去吿朔之餼羊。子曰:「賜也!爾愛其羊,我愛其礼。」
書き下し
子貢、告朔の餼羊を去らんと欲す。子曰く、「賜や、爾は其の羊を愛しむ、我は其の礼を愛しむ。」
現代語訳
子貢が、毎月一日の告朔の儀で供える生きた羊を、もう廃止したいと考えた。先生はおっしゃった。「賜よ、お前は羊を惜しんでいる。私は礼を惜しんでいるのだ。」
解説
当時すでに告朔の儀は形骸化し、君主も出席しなくなっていた。中身が失われた儀式に羊だけ供え続けるのは無駄だ、という子貢の判断は合理的である。それでも孔子は残せと言った。形だけになった制度でも、形が残っているうちは復活の余地がある。形まで消せば、何を失ったのかを思い出す手がかりごと消える、という読みである。ここは前の章と矛盾しない。孔子は形式を優先したのではなく、形式を最後の記憶装置とみなした。組織でも判断が分かれる場面だ。誰も読まない報告書、誰も来ない朝礼。廃止すれば効率は上がる。ただし、それが何のために置かれたかを誰も語れないなら、廃止の前に一度だけ問うべきである。これは無駄なのか、それとも中身のほうを失っているのか。
この章句が説くこと
礼倫理観企業文化形骸化制度存続
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