山鹿語類 / 士道・節飮食之用
次に君子は庖厨を遠ざくると云へることあり。庖は宰殺の所と注して、鳥獸を殺し料理せしむるの塲也。厨は烹飪之所と注して、料理のものをあつものし煮る所の地也。君子是を近づけては、必ず利心きざして、或は吝情の心も生じ、魚鳥を殺生するにつけて憐心も出、又忍ぶ心も生ず。ともに心よからず。或は煑炙の臭あり。其こしらへを見て不忍食のゆゑんあり。然れば君子の近づき可居所に非ず。故にこれを遠ざくべし。禮記曰、君子遠庖厨、凡有血氣之類、弗自殘也といへり。君子平生、天然の性を養を以て道とす。故に其心入れ如此也。
新字:次に君子は庖厨を遠ざくると云へることあり。庖は宰殺の所と注して、鳥獣を殺し料理せしむるの塲也。厨は烹飪之所と注して、料理のものをあつものし煮る所の地也。君子是を近づけては、必ず利心きざして、或は吝情の心も生じ、魚鳥を殺生するにつけて憐心も出、又忍ぶ心も生ず。ともに心よからず。或は煑炙の臭あり。其こしらへを見て不忍食のゆゑんあり。然れば君子の近づき可居所に非ず。故にこれを遠ざくべし。礼記曰、君子遠庖厨、凡有血気之類、弗自残也といへり。君子平生、天然の性を養を以て道とす。故に其心入れ如此也。
書き下し
次に君子は庖厨を遠ざくると云へることあり。庖は宰殺の所と注して、鳥獣を殺し料理せしむるの塲也。厨は烹飪之所と注して、料理のものをあつものし煮る所の地也。君子是を近づけては、必ず利心きざして、或は吝情の心も生じ、魚鳥を殺生するにつけて憐心も出、又忍ぶ心も生ず。ともに心よからず。或は煑炙の臭あり。其こしらへを見て不忍食のゆゑんあり。然れば君子の近づき可居所に非ず。故にこれを遠ざくべし。礼記曰、君子遠庖厨、凡有血気之類、弗自残也といへり。君子平生、天然の性を養を以て道とす。故に其心入れ如此也。
現代語訳
次に「君子は庖厨を遠ざける」ということがある。庖は宰殺の所と注されていて、鳥や獣を殺して料理させる場である。厨は烹飪の所と注されていて、料理するものを吸い物にし煮る所である。君子がこれを近づけると、必ず利をはかる心が兆し、あるいはけちな心も生じ、魚や鳥を殺生するにつけて憐れみの心も出、またそれを押し殺す心も生じる。どれも心によくない。あるいは煮たり焼いたりするにおいがある。その下ごしらえを見て、食べるに忍びなくなるわけもある。それゆえ君子が近づいて居るべき所ではない。だからこれを遠ざけるべきである。『礼記』に「君子は庖厨を遠ざける。およそ血気のある類は、自ら殺さない」とある。君子は平生、天然の性を養うことを道とする。だからその心がけはこのようである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『弁名』君子小人孔子曰く、「君子仁を去りて、悪くにか名を成さん」と。豈に然らずや。然れども其の所謂仁は、或は慈愛を以て之を言ひ、或は人欲浄尽・天理流行を以て之を言ふ。則ち孔子の言有りと雖も、能く其の謬りを救ふこと無し。豈に悲しからずや。学者は論語諸書の君子を言ひ仁を言ふ諸章を以て、諸を古義に求めば、庶はくは或は失はざらんのみ。大氐古の学は詩書礼楽、故に君子は辞を修め政に達し、礼楽以て之を文る。是れ之を成徳と謂ふ。此に外れて成徳を語り、心を以てし理を以てするは、皆三代の君子を論ずるの義に非ざるなり。
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『徂徠先生答問書』卷上一何にても平生御提撕被成候て利益多候儀を可申進候旨御求め被仰下候。遠境御深切の儀感入候。聖人の道広大無辺なる儀に候。就中君子の道を申候はゞ、仁の外に又肝要なる儀無御座候。仁は慈悲の事と大形は心得候得共、慈悲に様々御座候故、的切の訓解にては無御座候。天理人欲の説は後世の見識にて、大なる相違に候。惻隠の心は仁也と申候事も、孟子は子細有之被申候事に御座候。惻隠の心は、大形は尼御前などの慈悲に被成候故。今日難取用候。
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『初学訓』巻之三一学問の道は、他にあらず、只、善悪を明らかに知りて、善を行ひ悪を去るにあり。およそ人は、ただ心もわざも、善に志し善を行ひて、人をあはれみめぐみ、人を楽ましめて、人を苦めず、人をよみして、人をにくまず、人をうらみず、人の善を褒めて、人をそしらず、これ即ち仁の理にして、君子の道なり。人となりては、君子の道を学び行ふべし。善に志なく、善を行はずして、人を苦めて、人を憐まず、人を侮りて、人を敬はず、人を怨み怒り、人を譏る、是小人の道なり。人となりて、小人の道を行ふべからず。
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論語・憲問篇子曰く、君子にして不仁なる者有るかな。未だ小人にして仁なる者有らざるなり。
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『弁名』君子小人君子とは上に在るの称なり。子は男子の美称にして、之を尚ふるに君を以てす。君とは下を治むる者なり。士大夫は皆民を治むるを以て職と為す、故に君を之が子に尚へて以て之を称す。是れ位を以て之を言ふ者なり。下位に在りと雖も、其の徳人の上たるに足る、亦た之を君子と謂ふ。是れ徳を以て之を言ふ者なり。古の人は学びて徳を成せば、則ち之を士に進め、以て大夫に至る。故に君子とは成徳の称と曰ふ。後世の儒者は、老荘の内聖外王の説、其の骨髄に淪み、遂に先王の道の民を安んずるの道たるを忘る。故に其の所謂君子なる者は、多く仁を外にして以て之を言ふ。其の失之れ遠きこと甚だし。
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『弁名』仁仁なる者は、人に長とし民を安んずるの徳を謂ふなり。是れ聖人の大徳なり。天地の大徳を生と曰ふ。聖人之に則る。故に又た之を好生の徳と謂ふ。聖人なる者は古の天下に君たる者なり。故に君の徳は焉より尚きは莫し。是を以て伝に曰く、「人君と為りては仁に止まる」と。聖人なる者は得て学ぶべからず。後の君子の聖人の道を学びて以て其の徳を成す者は、仁を至りと為す。故に孔子曰く、「君子仁を去りて、悪くにか名を成さん」と。君子と命くる所以の者は、仁を以てなるを言ふ。故に孔門の教へは、必ず仁に依る。其の心聖人の仁と相離れざるを謂ふなり。故に仁なる者は、聖人の大徳にして、君子の徳と為す所以なり。
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