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山鹿語類 / 士道・愼容貌之動

次に游藝の事あり。云心は禮樂射御書數、すべて文武の藝、或は身躰の進退揖讓を習はしめ、或は手足の自由をかなへ、或は耳目の見聞を正し、或は音聲の所出を節にす。是內の思を正しくして、威儀をとゝのへ、大丈夫父につかへ、身を奉ずるの理をつくせり。されば弓馬の家に生れて、其身既に大丈夫の志あらんには、禮を以て進退を節し、樂を以て其用を和順ならしめ、射御を以て士のつとめとす。是各今日日用のわざにして、其用法常につゝしみ習て、其容貌を練るべし。書は必ず物を書までを云にあらず。讀書して文字を讀覺え、古今の事をしる、是書也。數は天地の數、事物多少をはかる也。數を詳にせざれば度量を不知。此皆容貌の動にして、威儀のよる處也。

新字:次に游芸の事あり。云心は礼楽射御書数、すべて文武の芸、或は身体の進退揖譲を習はしめ、或は手足の自由をかなへ、或は耳目の見聞を正し、或は音声の所出を節にす。是内の思を正しくして、威儀をとゝのへ、大丈夫父につかへ、身を奉ずるの理をつくせり。されば弓馬の家に生れて、其身既に大丈夫の志あらんには、礼を以て進退を節し、楽を以て其用を和順ならしめ、射御を以て士のつとめとす。是各今日日用のわざにして、其用法常につゝしみ習て、其容貌を練るべし。書は必ず物を書までを云にあらず。読書して文字を読覚え、古今の事をしる、是書也。数は天地の数、事物多少をはかる也。数を詳にせざれば度量を不知。此皆容貌の動にして、威儀のよる処也。

書き下し

次に游芸の事あり。云心は礼楽射御書数、すべて文武の芸、或は身体の進退揖譲を習はしめ、或は手足の自由をかなへ、或は耳目の見聞を正し、或は音声の所出を節にす。是内の思を正しくして、威儀をとゝのへ、大丈夫父につかへ、身を奉ずるの理をつくせり。されば弓馬の家に生れて、其身既に大丈夫の志あらんには、礼を以て進退を節し、楽を以て其用を和順ならしめ、射御を以て士のつとめとす。是各今日日用のわざにして、其用法常につゝしみ習て、其容貌を練るべし。書は必ず物を書までを云にあらず。読書して文字を読覚え、古今の事をしる、是書也。数は天地の数、事物多少をはかる也。数を詳にせざれば度量を不知。此皆容貌の動にして、威儀のよる処也。

現代語訳

次に游芸(芸に遊ぶ)のことがある。その意味は、礼・楽・射(弓)・御(馬術)・書・数という文武のすべての芸は、あるいは身体の進退や会釈・譲り合いを習わせ、あるいは手足を自由に使えるようにし、あるいは耳目の見聞を正し、あるいは声の出し方を節度あるものにするということである。これは内の思いを正しくして威儀を整え、大丈夫が父に仕え、身を捧げて勤める道理を尽くすものである。だから弓馬の家に生まれ、その身にすでに大丈夫の志があるなら、礼によって進退を節し、楽によってその働きを和やかにし、射と御を士の務めとする。これらはそれぞれ今日の日用のわざであって、その用い方を常に慎んで習い、容貌を練るべきである。書とは、必ずしも字を書くことだけを言うのではない。書物を読んで文字を読み覚え、古今の事を知る、これが書である。数とは天地の数であり、物事の多い少ないをはかることである。数を詳しくしなければ、度量(物差しと升目、ものの程度)がわからない。これらはみな容貌の動きであって、威儀のよりどころである。

解説

本条は『論語』の「芸に遊ぶ」を受け、礼・楽・射・御・書・数の六芸を、容貌と威儀を練る日用のわざとして位置づける。礼は進退を、楽は和を、射御は武士の務めを、書は読書による古今の知を、数は物事の程度をはかる力を養う。素行は、六芸を教養の飾りではなく、内の思いを正し身を整える稽古として捉え、弓馬の家に生まれた者の日々の課業とした。武芸と学問を分けず、どちらも威儀に帰するという見方は、文武両道を説く素行の士道論の要である。現代でも、身体を使う稽古や読書、数字に強くなることは、立ち居振る舞いや判断の確かさを支える土台になる。

この章句が説くこと

六芸游芸威儀文武修身大丈夫

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