山鹿語類 / 士道・愼言語
故に言必有節と云て、此方より云出さんには、時宜を詳に計り、其節を考へて可云。是言唯謹耳、似不能言者と云へる心也。言は行をかへりみ、行は言をかへりみて云出す言の如くに、諸事の行跡をつゝしまんと欲すること、君子大丈夫の所貴なれば、聊節を不違して其言を出し、人の云に應諾をなさんにも、節を詳にして其時宜の不欠、其言之不違が如く勘辨可仕也。若輕忽にして口にまかせば、多言にして言に失多く、我大に勞役して威儀こゝに不正。人きいて更に益なし。禮記曰、鸚鵡能言、不離飛鳥、猩々能言、不離禽獸、今人而無禮、雖能言、亦不禽獸之心乎と出たり。
新字:故に言必有節と云て、此方より云出さんには、時宜を詳に計り、其節を考へて可云。是言唯謹耳、似不能言者と云へる心也。言は行をかへりみ、行は言をかへりみて云出す言の如くに、諸事の行跡をつゝしまんと欲すること、君子大丈夫の所貴なれば、聊節を不違して其言を出し、人の云に応諾をなさんにも、節を詳にして其時宜の不欠、其言之不違が如く勘弁可仕也。若軽忽にして口にまかせば、多言にして言に失多く、我大に労役して威儀こゝに不正。人きいて更に益なし。礼記曰、鸚鵡能言、不離飛鳥、猩々能言、不離禽獣、今人而無礼、雖能言、亦不禽獣之心乎と出たり。
書き下し
故に言必有節と云て、此方より云出さんには、時宜を詳に計り、其節を考へて可云。是言唯謹耳、似不能言者と云へる心也。言は行をかへりみ、行は言をかへりみて云出す言の如くに、諸事の行跡をつゝしまんと欲すること、君子大丈夫の所貴なれば、聊節を不違して其言を出し、人の云に応諾をなさんにも、節を詳にして其時宜の不欠、其言之不違が如く勘弁可仕也。若軽忽にして口にまかせば、多言にして言に失多く、我大に労役して威儀こゝに不正。人きいて更に益なし。礼記曰、鸚鵡能言、不離飛鳥、猩々能言、不離禽獣、今人而無礼、雖能言、亦不禽獣之心乎と出たり。
現代語訳
だから「言葉には必ず節度がある」といって、こちらから言い出すときは、時宜を詳しく計り、その節目を考えて言うべきである。これが「言葉はただ謹むのみで、言うことができない者のようであった」という心である。言葉は行いを顧み、行いは言葉を顧みて、口に出した言葉のとおりにあらゆる行いを慎もうとすることは、君子や男子の尊ぶところであるから、少しも節度に違わずにその言葉を出し、人の言うことに承諾するときにも、節度を詳しくして時宜を欠かず、その言葉に違わないようによく考えるべきである。もし軽はずみに口にまかせれば、多言になって言葉に失敗が多く、自分は大いに骨を折るのに威儀は正しくならない。人が聞いても少しも益がない。礼記に「鸚鵡はよく言葉を話すが飛ぶ鳥を離れず、猩々はよく言葉を話すが禽獣を離れない。今、人であって礼がなければ、よく言葉を話しても、また禽獣の心ではないか」とある。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』僖公三十年 周公閲、備物の饗を辞す初め、鄭の公子蘭出でて晉に奔り、晉侯に從ひて鄭を伐つ。鄭を圍むに與ること無からんことを請ふ。之を許し、命を東に待たしむ。鄭の石甲父・侯宣多逆へて以って大子と為し、以って成を晉に求む。晉人之を許す。冬、王周公閱をして來聘せしむ。饗に昌歜(しゃうさん)・白・黑・形鹽有り。辭して曰く、「國君は、文は以って昭らかにするに足り、武は畏る可きなり。則ち備物の饗有りて、以って其の德に象る。五味を薦め、嘉穀を羞(すす)め、鹽は虎の形にして、以って其の功を獻ず。吾何を以ってか之に堪へん」と。東門襄仲將に周に聘せんとし、遂に初めて晉に聘す。
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『講孟余話』滕文公上 第二章然れば後世の士君子、宜しく外は習俗に従ひ、内は心制を持するあるのみ。近世儒先往々是れを行ふ、実に歆仰すべきことなり。吾が知る所、江戸の人斎藤弥九郎の如き、母を喪してより三年、未だ嘗て酒肉を御せず。蓋し其の師水府藤田氏の教を奉ずるなり。先師山鹿素行先生、甚だ名を立て俗を駭かすことを悪む。其の父の喪を操る、五十日にして酒肉を御す。蓋し母氏の心を慰めん為に曲げて習俗に従ふなり。然れども百日に至るまで酒肉を御すること僅かに三度のみ。而して皆已むを得ざるに迫るなり。余深く其の操持に服す。
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『春秋左氏伝』昭公二十五年 礼は天地の経緯昏媾・姻亞を為りて、以って天明に象る。政事・庸力・行務を為りて、以って四時に從ふ。刑罰・威獄を為りて、民をして畏忌せしめ、以って其の震曜殺戮に類す。溫・慈・惠・和を為りて、以って天の生殖長育に效ふ。民に好惡喜怒哀樂有り、六气より生ず。是の故に審らかに宜しく類して、以って六志を制す。哀に哭泣有り、樂に謌舞有り、喜に施舍有り、怒に戰鬥有り。喜は好より生じ、怒は惡より生ず。是の故に行ひを審らかにし令を信にし、禍福賞罰、以って死生を制す。生は好む物なり。死は惡む物なり。好む物は樂なり、惡む物は哀なり。哀樂失はざれば、乃ち能く天地の性に協ふ。是を以って長久なり」と。簡子曰く、「甚だしいかな禮の大なるや」と。對へて曰く、「禮は上下の紀、天地の經緯なり、民の生くる所以なり。是を以って先王之を尚ぶ。故に人の能く自ら曲直して以って禮に赴く者、之を成人と謂ふ。大なること亦た宜ならずや」と。簡子曰く、「鞅や、請ふ身を終ふるまで此の言を守らん」と。
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荀子・修身篇扁く善なるの度、以て気を治め生を養なわば、則ち彭祖に後れ、以て身を脩め名を自らにせば、則ち堯・禹に配す。時に宜しくして通じ、利ありて以て窮に処る、礼信是れなり。凡そ血気・志意・知慮を用うるに、礼に由れば則ち治通し、礼に由らざれば則ち勃乱提僈す。食飲・衣服・居処・動静、礼に由れば則ち和節し、礼に由らざれば則ち触陥して疾を生ず。容貌・態度・進退・趨行、礼に由れば則ち雅なり、礼に由らざれば則ち夷固・僻違、庸衆にして野なり。故に人は礼無ければ則ち生きず、事は礼無ければ則ち成らず、国家は礼無ければ則ち寧からず。詩に曰く、「礼儀卒に度あり、笑語卒に獲たり」とは、此れを之れ謂うなり。
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