山鹿語類 / 士道・辨義利
其故は生死の塲此一刹那にありと云ふとき、君のため又は人のため其外重きものゝために害あらんに於ては、速に死して不可顧。我重きものゝために害なきにをいては、能く保ち能く養て命を全くするに在ぬべし。利害勞逸各然り。万事にをいて如此究事物之理、則義理の行長じて、利害による所則消滅す。而利害の間宜く立て、利まことに利あり、害まことに害ある也。是聖人君子人に敎ゆるにしゆる所なく、唯自躰認せしめて不得止のゆゑんを推して万事に用ゆるのみ也。此惑辨じがたきを知て、古人さま〳〵の敎を立たり。大丈夫として己れが利害によつて、天性に耻ぢ恐るゝ處明白なる義を棄ん事は、甚可歎也。されば小利を得て傲り、功をとげてほこり、財に臨んで求め、難を見て遁れ、爭て勝つことを求め、わかつては多からんことを欲し、欲をたんぬせず、志を滿しめんことを思ひ、樂を盡さんことをねがふ。如此無量の情欲出來する時、輕重を辨ずる事あらざるが故に、重き方を忘れて輕きを重んじ、ついに君臣父子兄弟師友夫婦の義かけて、其事をねがひのまゝに致して、そのあとに快からぬ處生ず。是義のかくる處は、天則にそむく處あれば也。
新字:其故は生死の塲此一刹那にありと云ふとき、君のため又は人のため其外重きものゝために害あらんに於ては、速に死して不可顧。我重きものゝために害なきにをいては、能く保ち能く養て命を全くするに在ぬべし。利害労逸各然り。万事にをいて如此究事物之理、則義理の行長じて、利害による所則消滅す。而利害の間宜く立て、利まことに利あり、害まことに害ある也。是聖人君子人に教ゆるにしゆる所なく、唯自体認せしめて不得止のゆゑんを推して万事に用ゆるのみ也。此惑弁じがたきを知て、古人さま〳〵の教を立たり。大丈夫として己れが利害によつて、天性に耻ぢ恐るゝ処明白なる義を棄ん事は、甚可嘆也。されば小利を得て傲り、功をとげてほこり、財に臨んで求め、難を見て遁れ、争て勝つことを求め、わかつては多からんことを欲し、欲をたんぬせず、志を満しめんことを思ひ、楽を尽さんことをねがふ。如此無量の情欲出来する時、軽重を弁ずる事あらざるが故に、重き方を忘れて軽きを重んじ、ついに君臣父子兄弟師友夫婦の義かけて、其事をねがひのまゝに致して、そのあとに快からぬ処生ず。是義のかくる処は、天則にそむく処あれば也。
書き下し
其故は生死の塲此一刹那にありと云ふとき、君のため又は人のため其外重きものゝために害あらんに於ては、速に死して不可顧。我重きものゝために害なきにをいては、能く保ち能く養て命を全くするに在ぬべし。利害労逸各然り。万事にをいて如此究事物之理、則義理の行長じて、利害による所則消滅す。而利害の間宜く立て、利まことに利あり、害まことに害ある也。是聖人君子人に教ゆるにしゆる所なく、唯自体認せしめて不得止のゆゑんを推して万事に用ゆるのみ也。此惑弁じがたきを知て、古人さま〳〵の教を立たり。大丈夫として己れが利害によつて、天性に耻ぢ恐るゝ処明白なる義を棄ん事は、甚可嘆也。されば小利を得て傲り、功をとげてほこり、財に臨んで求め、難を見て遁れ、争て勝つことを求め、わかつては多からんことを欲し、欲をたんぬせず、志を満しめんことを思ひ、楽を尽さんことをねがふ。如此無量の情欲出来する時、軽重を弁ずる事あらざるが故に、重き方を忘れて軽きを重んじ、ついに君臣父子兄弟師友夫婦の義かけて、其事をねがひのまゝに致して、そのあとに快からぬ処生ず。是義のかくる処は、天則にそむく処あれば也。
現代語訳
なぜなら、生死の場がこの一刹那にあるというとき、主君のため、または人のため、そのほか重いもののために害があるならば、速やかに死んで顧みてはならない。自分の重いもののために害がないならば、よく身を保ちよく養って命を全うすることにあるのである。利害・労逸もそれぞれ同じである。万事においてこのように事物の理を究めれば、義理の行いが伸びて、利害に引かれるところは消え去る。そして利害の間がよく立って、利はまことに利であり、害はまことに害となる。これは聖人君子が人に教えるのに強いるところがなく、ただ自ら体得させて、やむをえない理由を推し広めて万事に用いるだけだからである。この惑いは見分けがたいと知って、古人はさまざまな教えを立てた。大丈夫として、自分の利害によって、天性に恥じ畏れるところの明白な義を棄てるのは、はなはだ嘆かわしいことである。それなのに小さな利を得ては驕り、功を遂げては誇り、財に臨んでは求め、難を見ては逃れ、争っては勝つことを求め、分けるときは多いことを欲し、欲を満たしきれず、志を満たそうと思い、楽しみを尽くそうと願う。このように限りない情欲が出てくるとき、軽重を見分けることがないので、重い方を忘れて軽いものを重んじ、ついに君臣・父子・兄弟・師友・夫婦の義を欠いて、その事を願いのままにして、そのあとで快くないところが生じる。これは義が欠けたところは、天の法則に背くところがあるからである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『山鹿語類』士道・辨義利聖人君子の教、生を嫌て死につき、害にはしりて利をさけ、労して逸せざれと云には非ず。聖人君子の好み悪む処も亦凡人に不可異して、其間惑を弁ずるにあるのみ也。いかなるをか惑と云べきとならば、唯自の身を利して外を不顧、是を惑と云也。自身を利することを好むは、是又天下同情にして、聖人君子は軽重を能く弁ず。軽重と云は、君父兄師夫は我ために重し。臣子弟幼婦は我がために軽し。天下国家は身よりも重し。視聴言動は心より軽し。此軽重を詳に究理するときは、惑こゝに止むべし。
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『山鹿語類』士道・辨義利師嘗曰。大丈夫存心の工夫、唯在弁義利之間而已。君子小人の差別、王道覇者之異論、すべて義と利との間に有之也。いかなるをか義と云はんとならば、内に省りみて有所羞畏、処事而後自慊、是を義といふべし。いかなるをか利と云はんとならば、内縦欲而外従其安逸、これを利と云べし。古今の間、学者道に入の始末、唯義利の弁を詳にするにあるべき也。其ゆへに利は人の甚所好にして、人々皆所陥溺也。されば生死について云ば、生を好み死をにくみ、利害について云ば、利にはしりて害をさけ、労逸について云ときは、労を嫌て逸に付、飲食居宅衣服の用、視聴言動の間、凡そ七情の発する処、各此情なくんばあるべからず。
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『山鹿語類』士道・辨義利如此云ときは、以前の軽重の論も、人を尤むることになりぬべきに似たり。聖人の教は全く不然。世の人々皆守長が振舞の如くあらんには、君臣も不立、父子もわきまへなく、各其利を利として、誰か主人の苦労にかはり、父兄のいたはりに代るものあらん。左云ふ人も下人をもたざることもある不可。子なきこともあらじ。我下人は主人をすてゝ身をかまへよ、子は親をすてゝ自ら逞くせよと云ば、世間一時に禽獣夷狄に可落。人として禽獣夷狄に落入ば、天地こゝに倒覆すべし。是たとへ行へと云ても、内にはぢて不被行処の感通あるを以て也。聖人は不得止の天則のまゝに順て、道を道と立玉へり。情欲のまゝにいたさば、天下の間更に不可立をしれば也。生死の事にかぎらず、凡そ利害のまじはる処、各此思ひ入を味て、その宜を制すべき也。
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『山鹿語類』士道・辨義利而して大丈夫今日所言所行、甚理に中るがごとしと云ども、聊さきにあてゝ為る所あるときは、是則利心也。あてゝすると云は、今日の言行は此ためになる処ありと利をふくめ致すは、是財宝名色の利にあらずとも、則ち伯術に落て、聖人の教にたがふべし。たとへば我行跡をたしなむは、人に能くいはれんと思ふは名欲也。人の能く云ためにあらず。唯家中の手本となりて、下々の作法行儀を糾明し、家をとゝのふるの為なりと云、是則利也。勿論家をとゝのへんとならば、身を修むるにありと云へども、家の為めに身を修むると心え行はんはあやまり也。天性我身はをさむべきのことわりあり。我身をさまりて家とゝのはずとも、少も其処に心とゞむべからず。人としては此道を修むるゆゑんの身也。外にみる処なし。是王道の大にして万物にさはること非ざることわざなり。董仲舒曰。仁人者正其誼不謀其利、明其道不計其功と云は、今云処にも近からんや。朱子曰。正義未嘗不利、明道豈必無功、但不先以功利為心耳と云へり。身をさまれば、家斉は定れることにして、家斉をあてゝせんとならば、是其功をあつる也。聖学の究理にあらざる也。
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『山鹿語類』士道・辨義利義利の弁を詳にする時は、存心して不放、義利の弁を不知時は、情欲一たび動くとき、我好悪にうばはれて、心爰に不存也。さるによつて、存心の工夫は敬の一字にありと、古人これを論ず。敬は聖人の礼を制する本にして、毋不敬といへり。今云処は人々の必ず所惑此間にあれば、此弁を詳にせば心は常に存すべきなり。敬計り存すと云とも、其わきまへ詳ならず、究理分明にあらざれば、是は義とせんや、是は利とせんや。両般の間ついに不分して、道こゝにくらし。故に以弁義利間為存心之要にありぬべしと也。孔子曰。君子喩於義。小人喩於利。孟子曰。鶏鳴而起。孳々為善者。舜之徒也。鶏鳴而起。孳々為利者。跖之徒也。欲知舜与跖之分。無他利与善之間也。
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『山鹿語類』士道・剛操能く義利の分を弁じて、安んじてこれを行は君子也。君子は世に不易得。勉強して其惑を去ること学者の困で知る処也。学者大丈夫に至らんことを思はん輩は、常に剛操を守て、好悪にをいて心の存亡を詳にし、万物の下に不屈が如く可心得也。古人生質に因て自然に剛操の徒ありといへども、是又一方に秀て一方にくらし。学人古人の生質に秀でたる処あるを、今日身上に取用て、弥其究理をきはめ、能事物の間に推し移るが如く可仕也。士として大丈夫のきたいに不練得、学も亦碌々たる小書生の志のみ也。何ぞ天下の大器識たらん。尤可味也。
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