山鹿語類 / 士道・志氣
古の臣たる人は、君を堯舜に致さんことをあらはし、一夫も不得其所を以て己れが耻とし、父に事へては如曾子して可なりと、未だあきたらざるの志を置。是皆志氣の高尙にして、小成小利を不事がゆへ也。彼許由天下の讓りをきいて耳を洗頴川流ば、巢父その水を牛にだも不可飮と云て下流を不汲、范蠡が五湖に浮んで、越を覇たらしめたる功を不受、莊周が鳳凰の飛を見てくされたる鼠をつかめる鳶の嚇といへるたとへ、嚴子陵が三公に不易江山翫、いづれも聖人の道より云ば、其弊なきに非ずといへども、利害にをいて聊志をとゞめず、天下の大器といへども我自適する處に不可易と、氣節を立たらん處は、まことに大丈夫不可無此氣節といへるは、誠に大丈夫の氣象と云べし。衣振千仭壑、足濯萬里流、大丈夫不可無此氣節と云へるは如此の心にもありぬべし。但聖人の道より不至して、一向其氣節の高尙を貴ぶときは、異端の虚無空寂を貴び、世間を以て塵芥とし、天下を以て糠粃と思ふて、唯自適するを可也とす。故に格致することを詳かならしむべきなり。
新字:古の臣たる人は、君を堯舜に致さんことをあらはし、一夫も不得其所を以て己れが耻とし、父に事へては如曽子して可なりと、未だあきたらざるの志を置。是皆志気の高尚にして、小成小利を不事がゆへ也。彼許由天下の譲りをきいて耳を洗頴川流ば、巣父その水を牛にだも不可飲と云て下流を不汲、范蠡が五湖に浮んで、越を覇たらしめたる功を不受、荘周が鳳凰の飛を見てくされたる鼠をつかめる鳶の嚇といへるたとへ、厳子陵が三公に不易江山翫、いづれも聖人の道より云ば、其弊なきに非ずといへども、利害にをいて聊志をとゞめず、天下の大器といへども我自適する処に不可易と、気節を立たらん処は、まことに大丈夫不可無此気節といへるは、誠に大丈夫の気象と云べし。衣振千仭壑、足濯万里流、大丈夫不可無此気節と云へるは如此の心にもありぬべし。但聖人の道より不至して、一向其気節の高尚を貴ぶときは、異端の虚無空寂を貴び、世間を以て塵芥とし、天下を以て糠粃と思ふて、唯自適するを可也とす。故に格致することを詳かならしむべきなり。
書き下し
古の臣たる人は、君を堯舜に致さんことをあらはし、一夫も不得其所を以て己れが耻とし、父に事へては如曽子して可なりと、未だあきたらざるの志を置。是皆志気の高尚にして、小成小利を不事がゆへ也。彼許由天下の譲りをきいて耳を洗頴川流ば、巣父その水を牛にだも不可飲と云て下流を不汲、范蠡が五湖に浮んで、越を覇たらしめたる功を不受、荘周が鳳凰の飛を見てくされたる鼠をつかめる鳶の嚇といへるたとへ、厳子陵が三公に不易江山翫、いづれも聖人の道より云ば、其弊なきに非ずといへども、利害にをいて聊志をとゞめず、天下の大器といへども我自適する処に不可易と、気節を立たらん処は、まことに大丈夫不可無此気節といへるは、誠に大丈夫の気象と云べし。衣振千仭壑、足濯万里流、大丈夫不可無此気節と云へるは如此の心にもありぬべし。但聖人の道より不至して、一向其気節の高尚を貴ぶときは、異端の虚無空寂を貴び、世間を以て塵芥とし、天下を以て糠粃と思ふて、唯自適するを可也とす。故に格致することを詳かならしむべきなり。
現代語訳
昔の臣たる人は、主君を堯や舜のような聖王にしようという志をあらわし、一人の民でもその所を得ない者がいれば自分の恥とし、父に仕えては曾子のようであってこそよいと、まだ満足しない志を置いた。これはみな志気が高く尚くて、小さな成功や小さな利を事としなかったからである。かの許由は天下を譲るという話を聞いて耳を潁川の流れで洗い、巣父はその水は牛にさえ飲ませられないと言って下流で水を汲まず、范蠡は五湖に舟を浮かべて去り、越を覇者にした功の賞を受けず、荘周(荘子)は鳳凰の飛ぶのを見て腐った鼠をつかんだ鳶が威嚇するというたとえを言い、厳子陵(厳光)は三公の位にもこの江山を愛でる暮らしは替えないとした。いずれも聖人の道から言えば弊がないわけではないが、利害において少しも志を留めず、天下という大きな器であっても自分が心のままに過ごすところとは替えられないと、気節を立てたところは、まことに「大丈夫にはこの気節がなくてはならない」と言われる、まさしく大丈夫の気象と言うべきである。「衣を千仞の谷に振るい、足を万里の流れに濯ぐ、大丈夫にはこの気節がなくてはならない」と言われるのは、このような心でもあろう。ただし聖人の道に至らずに、ひたすらその気節の高さを貴ぶときは、異端(老荘や仏教)の虚無や空寂を貴び、世間を塵芥とし、天下を糠やしいなのように思って、ただ自分が心のままに過ごせばよいとする。だから格物致知(物事の理を究めて知を致すこと)を詳しくしなければならないのである。
解説
この章句が説くこと
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『山鹿語類』士道・志氣師嘗曰。志気と云は、大丈夫の志す処の気節を云へり。大丈夫たらんもの、少しき処に志を置くときは、其所為其所学皆至て微にして、大なる器にあらざるなり。道に志すときは、管仲晏子が輩の功烈、猶不足為と思ふは、曽子、孟子の志気也。若し小成に安んじて、気節の全き処を不得ときは、器常に瑣細にして、器識の大用を不知也。後漢の趙温は、大丈夫当雄飛、安能雌伏と云、陳蕃は、大丈夫処世、当掃除天下、安事一室と云へり。梁竦は、大丈夫生当封侯、死当廟食と云、班超は大丈夫立功異域以取封侯、安能又事筆硯間と云、唐の李靖常に曰、大丈夫遭遇要当以功名取富貴、何至作章句儒、馬燧云、天下有事、丈夫当以功済四海、渠老一儒哉、北朝の高昂は毎に云へり、男児当横行天下自取富貴、誰能端坐読書作老博士也。是等の言各其趣向に弊あつて、格言と云べからざれども、大丈夫の気節其高尚ならんことは、如此にすゝぎあげたる如くあらざれば、必ず小事に屈して、一大事をなすことを不得也。
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『山鹿語類』士道・在勤行其所志職分を知て志を立、道に志有て其道の次第をきくことを得ると云とも、勤め行ふ所を専とす。而して勤行ふ事大方の志にては遂ること難し。今少の不入事を致し、ならへるわざすら是を改んとするには、甚力を不入しては安じがたし。殊に利害の間、色欲の妄動、名根の所萌、因循すること久しきを以て、更に間断する所なく其意妄りに先ず。こゝに於て我に大力量あらずしては、必ず引おとされて、其誠を尽す事不可叶。我に大力量を出さしむるは、志の浅深によることなり。志所浅くしては、勤むる所深かる不可也。志は自省みて人の人たらざる所をたしかに辱る処深からざれば、此志不出也。故に中庸に、子曰、好学近乎知、力行近乎仁、知耻近乎勇と出せり。孟子曰、富貴不能淫、貧賤不能移、威武不能屈、此之謂大丈夫と云へり。富貴は人の大に所好にして、貧賤は人の大に所悪、威武は人の大に所恐にして、此間に聊か心を付る処なきに不有ば、大丈夫と云可らず。大丈夫と云は、是士の道に志して、其志す所をたしかに行ひつとめたるものゝ事也。其厚く正しき所如此つとめずしては、士の本の立と云べからざる也。
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『山鹿語類』士道・正直師曰。大丈夫の世に立、正直ならずんば不可有也。其義有処は、守て更に不変の謂也。其親疎貴賤に不因、其可改所を改め、可糾事をたゞして、不諛人不従世の謂也。世間に身を立つることは、世にまかせ人に不従しては、理のまゝに立こと有がたしと云へる輩、俸禄を得ながら、君の非を不糾、父兄の悪を不諫して、時とともに追従し、大禄大官に預て、当世にへつらひ、時節を以て君を諫むべきと云の内に、光陰ついに空しくして、一生一事をなすことなし。尤可耻、尤可笑。豈大丈夫の心存せるならんや。唯禄により官にさへられて、本心こゝに放失し、世の弄臣となれるなるべし。孟子曰。豪傑之士。雖無文王起と也。人のたすけをまち、人のうくるを喜て、諫を入非をたゞす事は、正直の士に非ずといへども、猶これをなすべし。彼大丈夫に至ては、一毫の助をまつ処有らざるべし。松到天而不屈。蘭無人而亦香。是則大丈夫正直の立処と云べし。直方大は易の重んずる言なれば、君父につかへて世に立つことは、つとによはに唯正大直方を本とし、世俗の名誉にかゝはらず、仁義に非らずしては君の前に不陳、大節に臨て凛然として四海にまたがる、是正直の心を存する所以也。
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『山鹿語類』士道・度量我に気を養所うすくして、大丈夫の本意不立時は、利害好悪に付て心こゝに動き、気こゝに妄作して、真を失べし。人皆物にあたつてせく処出来る事は、気妄動して処を失を以て也。妄動するときは、知これがためにかくれて、所為皆妄作也。更に寛広の処なし。大丈夫生死一大事の地に臨み、白刄を蹈、劒戟をほとばしらしめて、剛操の節をあらはし、臨大事決大議垂紳正笏不動声色而措天下於泰山之安と云へける文武の大用は度量の間に可存也。
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『山鹿語類』士道・風度師曰。大丈夫は一向剛操を立て、其風俗いやしかるべきに似たり。是又大丈夫の本意に非る也。されば月至梧桐上、風来楊柳辺、大丈夫不可有無此風流といへるは、風度の世俗にあらず、明珠の側に在て自然に人をてらすが如き風情を云へり。周茂叔の人品を山谷が論じて、胸中洒落如霽月光風と云しは、其風情のつたなからずして、健骨の相あるを云へるなり。物皆自然のすがたあり。いやしきにはいやしきすがたを表し、貴きには貴き形をあらはす。野鶴には無俗質、青松には棟梁の気をふくめり。孟子梁の襄王にまみへて、出て人に語て曰、望之不似人君、就之而不見所畏といへるは、襄王に人君の風度あらざるをいへる也。大丈夫の養不正ときは、唯剛強なるを専として、衣服より飲食居宅の体、言語動容に至るまで、専らすねまはりて、木のはしの如く取まはし、是則大丈夫の法なりと思ふの輩あり。甚以てあやまれり。
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『山鹿語類』士道・剛操能く義利の分を弁じて、安んじてこれを行は君子也。君子は世に不易得。勉強して其惑を去ること学者の困で知る処也。学者大丈夫に至らんことを思はん輩は、常に剛操を守て、好悪にをいて心の存亡を詳にし、万物の下に不屈が如く可心得也。古人生質に因て自然に剛操の徒ありといへども、是又一方に秀て一方にくらし。学人古人の生質に秀でたる処あるを、今日身上に取用て、弥其究理をきはめ、能事物の間に推し移るが如く可仕也。士として大丈夫のきたいに不練得、学も亦碌々たる小書生の志のみ也。何ぞ天下の大器識たらん。尤可味也。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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