導師導古典を学びたいすべての人に

山鹿語類 / 士道・知己職分

師嘗曰。凡天地の間、二氣の妙合を以人物の生々を遂ぐ。人は万物の靈にして、万物人に至て盡く。こゝに生々無息の人或は耕して食をいとなみ、或はたくみて器物を作り、或は互に交易利潤せしめて、天下の用をたらしむ。是農工商不得已して相起れり。而して士は不耕してくらひ、不造して用ひ、不賣買して利する、その故何事ぞや。我今日此身を顧るに、父祖代々弓馬の家に生れ、朝廷奉公の身たり。彼の不耕不造不賈して士たり。士として其職分なくんば不可有。職分あらずして食用足しめんことは、遊民と可云。一向心を付て我身に付て詳に省りみ考ふべし。

新字:師嘗曰。凡天地の間、二気の妙合を以人物の生々を遂ぐ。人は万物の霊にして、万物人に至て尽く。こゝに生々無息の人或は耕して食をいとなみ、或はたくみて器物を作り、或は互に交易利潤せしめて、天下の用をたらしむ。是農工商不得已して相起れり。而して士は不耕してくらひ、不造して用ひ、不売買して利する、その故何事ぞや。我今日此身を顧るに、父祖代々弓馬の家に生れ、朝廷奉公の身たり。彼の不耕不造不賈して士たり。士として其職分なくんば不可有。職分あらずして食用足しめんことは、遊民と可云。一向心を付て我身に付て詳に省りみ考ふべし。

書き下し

師嘗曰。凡天地の間、二気の妙合を以人物の生々を遂ぐ。人は万物の霊にして、万物人に至て尽く。こゝに生々無息の人或は耕して食をいとなみ、或はたくみて器物を作り、或は互に交易利潤せしめて、天下の用をたらしむ。是農工商不得已して相起れり。而して士は不耕してくらひ、不造して用ひ、不売買して利する、その故何事ぞや。我今日此身を顧るに、父祖代々弓馬の家に生れ、朝廷奉公の身たり。彼の不耕不造不賈して士たり。士として其職分なくんば不可有。職分あらずして食用足しめんことは、遊民と可云。一向心を付て我身に付て詳に省りみ考ふべし。

現代語訳

先生(山鹿素行)はかつてこう言われた。およそ天地の間では、陰陽二気の妙なる結び合いによって人や物が生まれ育つ。人は万物の霊長であり、万物は人に至って極まる。そこで絶えず生き続ける人は、あるいは耕して食を営み、あるいは工夫して器物を作り、あるいは互いに交易して利潤を得て、天下の用を足らせている。これが農・工・商がやむをえず起こったわけである。ところが士は、耕さずに食い、作らずに用い、売り買いせずに利を得ている。それはいったいなぜなのか。わたしが今日この身を顧みると、父祖代々弓馬の家に生まれ、主君に奉公する身である。耕さず作らず商わずして士でいる者である。士である以上、その職分がないということはありえない。職分がないのに食べ物や用いる物が足りているなら、遊民(働かずに暮らす者)と言うべきである。ひたすら心を向け、わが身に引き当てて詳しく省み考えねばならない。

解説

『山鹿語類』士道の冒頭で、素行は農工商がそれぞれ天下の用を担うのに対し、耕さず作らず売らない士はなぜ食べていられるのかと自らに問う。戦乱が収まった江戸前期、武士は戦場での働きを失い、禄だけを受ける存在になりつつあった。素行はその居心地の悪さから目をそらさず、職分がなければ遊民にすぎないと言い切る。自分の仕事が誰の何の役に立っているのかを、肩書きではなく中身で問い直す姿勢は、組織の中で役割が見えにくくなった現代の働き手にもそのまま通じる問いである。

この章句が説くこと

士道職分武士自省遊民農工商

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る