和俗童子訓 / 巻之五・教女子法
一女に四行あり。一に婦德、二に婦言、三に婦容、四に婦功、此四は女の勤め行ふべきわざなり。婦德とは心だてよきを云ふ。心貞しくいさぎよく、和順なるを德とす。婦言とは言葉のよきを云ふ。僞れることを言はず、言を擇びていひ、にげなき惡言を出さず、言ふべき時言ひて、不用なる事を言はず、人其言ふ事をきらはざるなり。婦容とは形のよきを云ふ。あながちに飾を專にせざれども、女は容なよよかにてをゝしからず、粧のあてやかに、身持きれいにいさぎよく、衣服のあかづき穢なき、是婦容なり。婦功とは女のつとむべきわざなり。ぬひ物をし、うみつむぎをし、衣服を調へて、專つとむべきわざを事とし、戲れ遊び笑ふ事を好まず、食物飮物いさぎよくして、しうと夫賓客に進むる、是皆婦功なり。此四は女人の職分なり、つとめずんばあるべからず。心を用ひてつとめなば、誰もなるべきわざなり。怠りすさみて、其職分を空しくすべからず。
新字:一女に四行あり。一に婦徳、二に婦言、三に婦容、四に婦功、此四は女の勤め行ふべきわざなり。婦徳とは心だてよきを云ふ。心貞しくいさぎよく、和順なるを徳とす。婦言とは言葉のよきを云ふ。偽れることを言はず、言を択びていひ、にげなき悪言を出さず、言ふべき時言ひて、不用なる事を言はず、人其言ふ事をきらはざるなり。婦容とは形のよきを云ふ。あながちに飾を専にせざれども、女は容なよよかにてをゝしからず、粧のあてやかに、身持きれいにいさぎよく、衣服のあかづき穢なき、是婦容なり。婦功とは女のつとむべきわざなり。ぬひ物をし、うみつむぎをし、衣服を調へて、専つとむべきわざを事とし、戯れ遊び笑ふ事を好まず、食物飲物いさぎよくして、しうと夫賓客に進むる、是皆婦功なり。此四は女人の職分なり、つとめずんばあるべからず。心を用ひてつとめなば、誰もなるべきわざなり。怠りすさみて、其職分を空しくすべからず。
書き下し
一女に四行あり。一に婦徳、二に婦言、三に婦容、四に婦功、此四は女の勤め行ふべきわざなり。婦徳とは心だてよきを云ふ。心貞しくいさぎよく、和順なるを徳とす。婦言とは言葉のよきを云ふ。偽れることを言はず、言を択びていひ、にげなき悪言を出さず、言ふべき時言ひて、不用なる事を言はず、人其言ふ事をきらはざるなり。婦容とは形のよきを云ふ。あながちに飾を専にせざれども、女は容なよよかにてををしからず、粧のあてやかに、身持きれいにいさぎよく、衣服のあかづき穢なき、是婦容なり。婦功とは女のつとむべきわざなり。ぬひ物をし、うみつむぎをし、衣服を調へて、専つとむべきわざを事とし、戯れ遊び笑ふ事を好まず、食物飲物いさぎよくして、しうと夫賓客に進むる、是皆婦功なり。此四は女人の職分なり、つとめずんばあるべからず。心を用ひてつとめなば、誰もなるべきわざなり。怠りすさみて、其職分を空しくすべからず。
現代語訳
女性には四つの行いがあります。一に婦徳、二に婦言、三に婦容、四に婦功で、この四つは女性が勤め行うべきことです。婦徳とは心だてのよいことを言います。心が正しく清らかで、和順であることを徳とします。婦言とは言葉のよいことを言います。偽りを言わず、言葉を選んで言い、ふさわしくない悪い言葉を出さず、言うべき時に言って、不要なことを言わず、人がその言うことを嫌がらないことです。婦容とは姿のよいことを言います。むやみに飾ることをもっぱらにしなくても、女性は姿がしなやかで荒々しくなく、身だしなみが上品で、身持ちがきれいで清らかで、衣服が垢じみて汚れていないこと、これが婦容です。婦功とは女性の勤めるべき仕事です。縫い物をし、糸を紡ぎ、衣服を整えて、もっぱら勤めるべき仕事を事とし、戯れ遊び笑うことを好まず、食べ物や飲み物を清らかにして、舅・夫・客に勧めること、これが皆婦功です。この四つは女性の職分です。勤めなければなりません。心を用いて勤めれば、誰でもできることです。怠けすさんで、その職分をむなしくしてはなりません。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第四十子細は信玄公わかうまします時より、諸侍のことばをよくきゝ、分別あるも、なきも、つよからんも、よはからんも其人の物いふ儀にてつもり被成たるが、今日にいたるまでも、それがしむけんならくへ堕罪仕らん、少もあひちがはず候、さるほどに、よき事をもほめ所を見いだし、聞付穿鑿の取さたをもつて善をば善と定め、悪をば悪とさだめ、道理をつめてほめそしる武士の作法なり、さなくして、かたはし聞て我贔負の者を虚空によきとばかり批判する事女にあひにたる侍、と信玄公の常々御諚これなり、如此有様にせんさくあそばす故、若手に能武士出くるなりと阿部加賀守申て、金丸助六郎·同惣蔵にをしゆる也、
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『正法眼蔵随聞記』巻一雑話の次でに云く、世間の男女老少多く交会姪色等の事を談ず、是を以て心を慰むるとし、興言とすることあり、一旦意をも遊戯し、徒然も慰むるに似たりと云ふとも、僧はもつとも禁断すべきことなり、俗猶よき人、まことしき人の、礼儀をも存じ、げにげにしき談の時、出来らざることなり、只乱酔放逸なる時の談なり、況や僧は専ら仏道を思ふべし、雑語は希有異体の乱僧の云ふことなり、
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