和俗童子訓 / 巻之二・総論下
一古もろこしにて、小兒十歲ならば、外に出して、晝夜師に隨ひて、學問所に居らしめ、常に父母の家におかず。古人此法深き意あり。如何となれば、小兒常に父母の側に居て、恩愛にならへば、愛をたのみ恩になれて、日々にあまへ氣隨になり、艱苦の勤なくして、徒に時日を過し、敎行はれず、且孝弟の道を父兄の敎ふるは、我が身に能く事へよとのすゝめなれば、同じくは、師より敎へて行はしむるが宜し。故に父母の側をはなれ、晝夜外に出て、敎を師にうけしめ、學友に交らしむれば、おごり怠なく、智惠日々に明かに、行義日々に正しくなる。是古人の子を育つるに、内にをらしめずして、外に出せし意なり。
新字:一古もろこしにて、小児十歳ならば、外に出して、昼夜師に随ひて、学問所に居らしめ、常に父母の家におかず。古人此法深き意あり。如何となれば、小児常に父母の側に居て、恩愛にならへば、愛をたのみ恩になれて、日々にあまへ気随になり、艱苦の勤なくして、徒に時日を過し、教行はれず、且孝弟の道を父兄の教ふるは、我が身に能く事へよとのすゝめなれば、同じくは、師より教へて行はしむるが宜し。故に父母の側をはなれ、昼夜外に出て、教を師にうけしめ、学友に交らしむれば、おごり怠なく、智恵日々に明かに、行義日々に正しくなる。是古人の子を育つるに、内にをらしめずして、外に出せし意なり。
書き下し
一古もろこしにて、小児十歳ならば、外に出して、昼夜師に随ひて、学問所に居らしめ、常に父母の家におかず。古人此法深き意あり。如何となれば、小児常に父母の側に居て、恩愛にならへば、愛をたのみ恩になれて、日々にあまへ気随になり、艱苦の勤なくして、徒に時日を過し、教行はれず、且孝弟の道を父兄の教ふるは、我が身に能く事へよとのすすめなれば、同じくは、師より教へて行はしむるが宜し。故に父母の側をはなれ、昼夜外に出て、教を師にうけしめ、学友に交らしむれば、おごり怠なく、智恵日々に明かに、行義日々に正しくなる。是古人の子を育つるに、内にをらしめずして、外に出せし意なり。
現代語訳
昔の中国では、子どもが十歳になれば家の外に出して、昼も夜も師に従って学問所におらせ、ふだんは父母の家に置きませんでした。昔の人のこの法には深い意味があります。なぜなら、子どもがいつも父母のそばにいて恩愛に慣れると、愛を頼み恩に慣れて、日々に甘えて気ままになり、苦労する勤めもなく、むなしく月日を過ごして、教えが行われないからです。また孝弟の道を父兄が教えるのは、「自分によく仕えよ」という勧めになってしまうので、同じことなら師から教えて行わせるのがよいのです。そこで父母のそばを離れ、昼も夜も外に出て、師から教えを受けさせ、学友と交わらせれば、驕りも怠りもなく、知恵は日々に明らかになり、行儀も日々に正しくなります。これが、昔の人が子を育てるのに、家の内に置かず、外に出した意味です。
解説
この章句が説くこと
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